聖職者による「性暴力」事件から考える それでもボクシはやってない!? 2007年4月7日

 キリスト教界とは無縁と思われがちだった「性暴力」事件。編集局にはこれまで、さまざまな教派の被害者から悲痛な訴えが寄せられてきた。今回、異なる教派で起きた2つの事例をもとに、聖職者による加害と教会の内に潜む構造的“暴力”の問題に迫る。

【Aさんの場合】 加害者:H氏 日本聖公会京都教区元司祭

 Aさんは、家庭教師をしていた日本聖公会京都教区の司祭(当時)H氏から、「誰にも言ってはいけない」「大人になるために大事なこと」と言い含められ、数年に渡り恒常的な性的虐待を受ける。当時小学生だったAさんがその意味に気付いたのは何年も経った後、成人してからのことだった。京都教区主教(当時)が詳細にわたる「被害届け」を父親から受け取った翌日、すでにPTSDが発症していたAさんは大量の睡眠薬を飲む。たまたま現場に立ち寄った父親が、枕元に置かれた「お父ちゃん、ごめん」というメモと共に倒れたAさんの姿を発見。すぐに病院へ運び込む。駆けつけたH氏は、その妻や病院関係者が見ている前で父親に土下座し、涙ながらに謝罪した。

 臨時に開かれた常置委員会でH氏の退職が決定。しかし、その翌日。Aさんが記憶をたどり何日もかけて書いたという「被害届け」を見たH氏は、一転「こんなことはしていない」と主張し始める。さらにその主張を受け、教区が一度受理したはずの退職願を覆したことから、事態は急転する。父親は家族で話し合い、悩んだ末に提訴へ踏み切る。

 裁判は過酷を極めた。被告側は、「被害届け」の文章がAさんの「妄想」や「虚言癖」からくるもので事実ではないと主張。それを証拠づけるための写真や、加害者の妻の証言などが資料として付け加えられた。この法廷によって、Aさんとその家族は二重、三重に苦しめられることになる。

 2001年7月の提訴から4年。最高裁が下した判断は、原告の主張を認め、賠償金全額の支払いを求めるものだった。しかし、「加害」はなおも終わらなかった。京都教区は何の調査をすることもなく「事実無根」と抗議。その後、他にもH氏による被害者がいたことが発覚し、同年12月、ようやく教区が先のコメントを撤回した謝罪会見に至る(本紙06年1月28日付にて既報)。

 ついにH氏は自ら退職願を提出。教区側は当初、懲戒免職にするつもりだったが、「教区が二分する恐れがある」「審判廷を開くのは困難」との判断でこれを受理。最終的にH氏が受けた処分は、「信徒としての」陪餐停止のみだった。さらに最高裁判決が出た時点での聖職常置委員と教区主教については、減給などの「自主的」処分とされた。

 結審後、Aさんと家族宛に送られてきたH氏の最後の手紙には、過去に犯した一連の行為は認めず、成り行き上「触れてしまった」という一つの事例についての弁明のみが書かれていた。しかも、その事例は裁判上での証言とは食い違うもので、Aさんによるとそうしたシチュエーションさえなかったという。

 Aさんは一命を取り留めたものの激しい胃痛に苦しみ、自分の体をコントロールできず、病院に通い続けていた。昨年ようやく一人で起きられるようになり、薬を飲まずに生活できるほど回復してきた。無論、男性への不信感はいまだ拭えない。父親は訴える。「娘の人生をどうしてくれるのか」

 昨年11月、「宣言文」と題する一通の文書が聖公会の諸教会に配られた。京都教区の現主教から発せられたこの文書では、被害者への謝罪、セクシュアル・ハラスメント防止・相談委員会(仮称)と相談窓口を設置することが述べられている。しかし、双方の間に深く刻まれた溝を埋めるには十分ではなかった。「今やこれは、わたしと京都教区の戦いです」。父親は語気を強める。

 被害者の父親に接見し、代理人になることを申し出た鎌田雄輝氏(沼津聖ヨハネ教会司祭)は、「H氏の復職のさせ方もその後の処分も、聖公会の法規に明らかに反している。少なくとも、第三者が客観的に双方の主張を精査しなければ和解はできない」と話す。

 父親は現在、鎌田氏を通して、教区の責任者2人の教育界における要職の辞任、H氏を復職させた経緯の説明、それらを経た上での謝罪訪問を求めている。H氏の退職を撤回した元教区主教は「今すぐには辞められない」と父親に話していたが、この3月ついに辞職した。父親は「言葉では謝られているが、こちらの要望がなかなか受け入れられない。口先だけの謝罪ではなく、しっかり責任をとってほしい」と話す。

 H氏のいた教会には、今でも彼を慕い続ける信徒がいるという。新たに赴任した司祭は被害者を擁護する立場に立ったが、さまざまな軋轢もあり教会から離れざるを得なくなった。

 父親は嘆く。「教会もいまだにわたしたちの味方ではない。教区の対応は、不祥事を起こした会社や警察と同じだ」。裁判後、父親には、教会員の前でことの経緯を説明する機会すら与えられていない。かろうじて籍を置いていたその教会も、今年に入り家族で離れた。教会関係の手紙やチラシも、今はすべて送り返しているという。


【Bさんの場合】 加害者:K氏 日本ホーリネス教団元牧師

Bさんが被害後に描いた絵。「きっと…晴れる…はず!」の文字

 「一人でも多くの人に事実を知ってほしい。そしてこの問題から逃げずに、自分の頭で考えてほしい」。被害者Bさんの母親である宮本さんは、その切実な訴えを冊子にまとめ、先月から全国の諸教会に送付している。

 1995年1月、Bさんの父親は脳腫瘍で亡くなる。その末期から継続的に関わりをもった牧師こそが、本件の加害者であり、ラジオ伝道や医療伝道で全国を駆け回っていたホーリネス教団牧師(当時)のK氏である。K氏は、宮本さんと家族ぐるみの付き合いをする中で、夫の死後から数年に渡り、その遺族である次女Bさんに性暴力をはたらき続けた。彼女は信頼する牧師からの信じ難い行為を誰にも打ち明けられないまま、医療伝道の道を志す。

 沖縄の病院で働いていた際も、定期的に訪れるK氏からの加害はくり返された。意識的に距離を置くようになってから始まった彼の執拗な行動に耐え切れず、Bさんが母親に電話で訴え、初めて事実が発覚する。彼女はすぐに自宅へ戻るが、その後さらに症状は悪化。強度の睡眠障害、摂食障害、幻覚、幻聴……。何より病院自体に恐怖心を抱いていたため、まともな治療も受けられないまま、幾度となく自殺未遂をくり返す。ある時は一週間意識を失ったこともある。目が覚めて口にした言葉は「なんで助けたの?」のひと言。「かけてあげる言葉もなかった」。当時をふり返り宮本さんは言う。

 K氏は事件発覚後すぐに、ホーリネス教団の役員も同行して宮本さんに会い「二度とくり返さない」と謝罪する。しかしそのわずか数日後、彼は電話口で激高する。「これは自分を陥れるために母親がでっち上げた事件だ」

 「自分に非がないことを認めさせたい」。Bさんは裁判を決意する。3年に渡る裁判を通して加害の事実が認められるものの、K氏は詫びないどころか、賠償金は支払わないと主張する。結審の1年後、ついにBさんは13階の建物から身を投げ、自らの命を断つ。長年苦しみぬいた末の自死だった。生前、「裁判したって何も変わらなかったね」と漏らしていたという。

 K氏の所属するホーリネス教団は、宮本さんの要請により彼を解任。しかしその経緯について、各教会に知らされることはほとんどなかった。同じK氏による被害者が他にも多数存在するという事実が、裁判の中で明らかになる。宮本さんによると、これまで複数の被害者とK氏との間で仲裁をしてきたという人物から電話があり、「仲裁したいが、希望は何ですか」と聞かれたこともあったという。教団は、家族からの長年に渡る訴えを受け、ようやくこの4月に対策室を立ち上げる。

 K氏の加害を訴え続ける中、Bさんの家族は二次的、三次的被害を受けることになる。今まで自宅に出入りするほどの交流があった教会員からは相手にされなくなり、初め同情的であった教会員も次々と耳を塞ぐようになった。宮本さんが被害者家族としての訴えやアンケートを送った教会・個人からも、心ない言葉が返信されてくる。

 「人間の悪行は、人間が騒がなくても目に見えない方によって裁かれる」「この問題から解放されたい。事実を知らせないでくれ」「許す。キリストの十字架はそのためです」「隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか(ヤコブ4・12)」……。

 「期待しないことを学びました。教会もK氏もそう簡単には変わらないと思います」。しかし、決してあきらめはしない。「性暴力について正しく知ってほしい。そして、少しでも新たな被害を生まないための抑止力になればとも思っています」。Bさんが亡くなってから、宮本さん自身もさまざまな症状に悩まされ、いまだに自宅以外で泊まることができないという。「わたしは今でも、加害者に対して憎しみや怒りの感情を持っていません。むしろ、哀れに思います」

 夫の病によって教会に導かれたという宮本さんだが、キリスト教への指摘は鋭い。「あらゆるものに二面性があるにもかかわらず、『良い』面ばかりに目を向けるクリスチャンの見方は歪んでいる」「『祈り』『忍耐』『ゆだねる』といった言葉で、考える責任を放棄している信徒が多い」。そして、その追求は個別の問題に留まらず、根本的な課題へ向けられる。「巨大な〝暴力〟を許してきた教会の構造そのものを見直さなければ、また次の被害がくり返される」

 昨年4月、広島の単立教会に招かれたK氏は、事件の後初めて講壇に立ち、「あなたの罪赦された」と題して涙ながらに説教をする。彼は言う。「どうやったら死ねるのかなと、この8年間ずっと考えておりました」「罪赦された者が一人ぼっちではだめだ。清い流れの中にいなければならない。……わたしの罪は赦された、悔い改めて生きる。そういう確信をいただいています」。当日の礼拝では数十万円にのぼる献金が、K氏の借金返済のために献げられた。後に詳細を知らされた牧師は、K氏に「被害者らに謝罪しましょう」と呼び掛けているが返事はないという。

 K氏夫妻は現在、神奈川県で保育園を経営し60人以上の子どもを預かり、日曜日には礼拝も行っている。しかし、いまだ被害者家族へ謝罪の言葉はない。

【取材を終えて 教会でこそ起こり得る】

 今回、取材の申し出を快く受け入れてくださった2人の被害者の家族から、直接話をうかがうことができた。比べてみると、驚くほど多くの共通点が浮かび上がる。加害者の人望、いったん認めた事実の否認、教団の対応、あいまいな責任の所在、密室性、当該教会の対応など。

 本紙で「教会の病理学」を連載中の関谷直人氏(同志社大学教授・『ドメスティック・バイオレンス そのとき教会は』訳者)は、「まず教会の中に問題や罪がないという前提を捨てなければならない」と指摘する。「牧師も人間。あらゆる罪を犯す可能性がある」。むしろ教会は密室を作り易く、関係も親密になりやすい。そういう意味では、教会でこそ起こり得る問題でもある。

 そしてもう一つ。教会特有の問題は、「赦し」の理解。関谷氏によれば、「赦し」は被害者が長い年月をかけて解決すべき問題であり、加害者の心理的な癖や習慣的な行動パターンは簡単に治らないという。神がその人を受け入れたとしても、聖職として不適格であることに変わりはない。罪があれば告白して悔い改め、教会の対応を吟味していくというのが教会の共同体としてのあり方である。

 オフィシャルな相談窓口を設け、被害者と加害者双方をフェアにチェックできる第三者的な機関が必要とされる。関谷氏は、「内部に窓口ができても単なる隠蔽機能になりかねないので、相談があった後の手続きや、解決のための手順を明確にしておく必要がある」と話す。「逆によく調べもしないで処分しようとすることも問題。牧師が安心して牧会できるような仕組み作りも必要」と強調する。

 現在、日本の近現代史を学ぶ宮本さんは、「戦争における性暴力の問題も根は一緒」と述べる。日本には「くさいものにふた」「現実を見たくない」という体質が厳然としてある。過去の事実は、知らされないことによって「なかったこと」になる。

 何よりもまず、牧師や信徒が教派を超えて問題を共有し、教団レベルで学び合うことが欠かせないのではないだろうか。「信仰のつまずきになる」「伝道の妨げになる」との声が聞こえてきそうだ。しかし、これら教会の病巣に向かい合わず不問に付すことが、果たして宣教のために有益と言えるだろうか。真に悔い改めることなく「愛」や「赦し」を説く自浄能力のない教会に、一体どれだけの魅力があるというのだろう。被害者の家族は訴える。「目を背けないで、被害者の声に向かい合ってほしい」

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