【画像】<語る>今高義也 「究極的なものを指し示す 詩のことばの可能性」 2008年11月1日

【画像】<語る>今高義也 「究極的なものを指し示す 詩のことばの可能性」 2008年11月1日

  大学1年の時、先輩に勧められて寮の食堂の書棚にあった古い詩集を手に取った。毛筆体の無造作にもみえるその題字は、書棚に詰まっている難しそうな信仰書の背表紙の間で、不思議な存在感を放っていた。八木重吉(1898―1927)の遺稿を内村鑑三の弟子鈴木俊郎が編んだ『神を呼ぼう』(新教出版社、1950年初版)である。
  それを開いて一驚した。《詩のことばとなった信仰》というものを、初めて「見た」ような感覚、とでもいおうか。高校3年の夏に受洗して8ケ月、自らの信仰のスタンスについて模索していた私に、その詩の一語一語が思いのほか強いインパクトをもって迫ってきたのである。以来重吉の詩は、折にふれて力づけてくれる《存在》として、いつもひっそりと私の傍らにある。

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