南ア改革派教会指導者が語る 「カルヴァンの遺産、今も重く」 2008年8月8日
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【CJC=東京】ジャン・カルヴァンの生誕500年を記念する催しが世界各地で催される中、南アでは教会に止まらず、国家・社会の深部に至るまでカルヴァンの影響は大きく、今日でもなおその渦中にある。
南アに欧州から入植したのはオランダ改革派教会の信徒だった。南ア最大の悲劇とも言えるアパルトヘイト(人種隔離政策)をカルヴァンの教えを援用して神学的な基礎付けをしたのも同派の神学者だった。
1685年、フランスで信仰の自由を保証した「ナントの勅令」がルイ14世によって廃止されたのを受け、厳格なカルヴァン主義者であるユグノー派がオランダに脱出。オランダ東インド会社の手配で、5年間の予定で南アに移住することになったが、結局、カープスタット(ケープタウン)を中心に南アに腰を落ち着けることになった。
ユグノー派によって始められた南ア改革派教会は19世紀末までに、黒人、混血、インド系、白人と人種によって分離が始まり、20世紀に入ってそれぞれの教会を形成するようになった。
1948年、ダニエル・マラン牧師が首相となり、「隔離」という伝統的な人種政策を、与党の政策とした。一方、60年代に入って、改革派教会のベイヤーズ・ノーデ牧師らが反アパルトヘイト活動を精力的に行った。改革派神学者の革新派は黒人も白人もノーデ氏を支援したが、政府側から非難の的とされた。
ノーデ氏は、反アパルトヘイト闘争の先鋒だったアフリカ民族会議(ANC)に加わり、94年には白人与党との政権交渉に、ANCから唯一の白人として参加した。
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