「いつまで騙される側に」 NCC靖国問題委、藤野豊氏呼び講演 2014年10月4日

「天皇制と差別――いつまで騙される側にいるのか」と題した講演会が、9月8日、日基教団信濃町教会(東京都新宿区)で行われた。日本のハンセン病患者の隔離の歴史を研究している藤野豊氏(敬和学園大学教授=写真)が講演した。日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会(坂内宗男委員長)が主催し、100人が出席した。

 日本の近現代史を専門とする藤野氏は、大日本帝国憲法下の天皇制から話し始め、「天皇のために戦死することによって、初めて平等な民として靖国神社に祭られる」という平等の思想があったとし、「『天皇の民になれば平等だ』という論理で差別が覆い隠されていった」と述べた。

 そして、「被差別部落の戦争動員」「知的障がい者の徴兵」「ハンセン病患者の戦争動員」「『従軍慰安婦』における『性的慰安』という差別」を例に、ファシズム体制下の擬似平等について話した。

 その上で、「戦後の天皇制にも差別の構造がある」と強調。象徴天皇の政治活動の一つとして、1949年の昭和天皇裕仁の九州巡幸を取り上げ、重要産業の石炭の炭鉱で労働運動が激化しストライキが起きている最中に天皇が巡幸することで、労働運動を抑えていく役割があったと話した。一般の工場労働者に比べて差別されていた炭鉱労働者の前に天皇が立って激励したことは、「『我々みたいな者に対しても天皇は平等に扱ってくれた。だから天皇の期待にこたえて増産し、労使協調していこう』という流れを作る」役割があったと指摘した。

 また、昨年10月に熊本の国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園を天皇・皇后が訪問したことに触れ、ハンセン病患者の隔離政策の背景には皇室の役割があったにもかかわらず、この訪問に入所者が喜びの声を上げ、それを多くの新聞・メディアが報道したことに、「ハンセン病問題の被害がここで全部終わったかのような扱いがある」と主張。

 「戦後の象徴天皇の非政治性という幻想の下、天皇制は感情を持って理性を制約し、差別や戦争の犠牲に対する国家の責任を隠ぺいする役割を果たし続けている」と強調した。

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