「子どもと礼拝の会」10周年インタビュー 体験通して神に出会う ブラウネル・のぞみさん(アメリカ改革派教会宣教師) 2015年3月14日

 教会や教会学校、幼児教育・保育の現場で子どもたちの「礼拝」を考える「子どもと礼拝の会」の活動が昨年10周年を迎えた。日基教団の牧師・信徒らが中心となり、「子どもと礼拝センター」(横浜市中区山手町66-5)で「子どもと礼拝」プログラムを実践・紹介している。教会学校の「礼拝」の部分に着目し、子どもたちが体験を通して神に出会っていくように組み立てられたプログラムだ。日基教団宣教師としてアメリカ改革派教会(RCA)から派遣され、2007年から同会の世話人の1人として活動しているブラウネル・のぞみさん(「子どもと礼拝」認定トレーナー)=写真左下=に、プログラムの特徴を聞いた。

 もともとこのプログラムは、米ミシガン州にある改革派のウェスタン神学校でキリスト教教育を教えていた故ソーニャ・スチュワート教授が30年ほど前に始めたものです。モンテッソーリ教育(イタリアのマリア・モンテッソーリによって考案された教育法)の手法と改革派・長老派系の礼拝を組み合わせたもので、北米の主流派教会に広がり、宣教師によって南米やアフリカにも伝えられていきました。

 02年、日基教団の西堀俊和牧師と和子夫人がスチュワート教授に出会い、日本でもプログラムを実践したいと、当時東京神学大学で教鞭をとっていたトマス・J・ヘイスティングス氏(日本国際基督教大学財団主任研究員)に思いを伝え、04年に「子どもと礼拝の会」を立ち上げました。秋山徹(日基教団上尾合同教会牧師)、田中かおる(同安行教会牧師)、左近深恵子(同曙教会牧師)、伊藤悟(青山学院大学宗教部長)の各氏が世話人として加わり、同年に東京神学大学で1回目のセミナーを開催しました。

 その後、年1回のペースでセミナーを行いつつ、米国で1989年に出版された教本『Young Children and Worship』の邦訳作業を始めました。著者はスチュワート教授と、聖公会の宗教教育家ジェローム・ベリーマン氏。同書は、幼児(3~7歳)を対象とした礼拝の指導書で、礼拝の神学を提示した上で、具体的な教案や教材を提供するという、理論と実践の本です。09年に一麦出版社より『ちいさな子どもたちと礼拝』=写真右上=として出版しました。

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 会の発足当時わたしは米国にいました。夫のネイサンはニューヨークの日米合同教会の牧師で、07年に夫婦で日本へ遣わされました。スチュワート教授のもとでキリスト教教育を学んだわたしは、「子どもと礼拝」プログラムを日本で広めていきたいと思い、米国でトレーナーとしての認定を受けました。

 わたしたちが派遣された横浜・山手の「グリーンハウス」は、アメリカ改革派教会が備えた青少年センターで、隣接する横浜ユニオン教会の旧礼拝堂です。付近にはフェリス女学院、横浜共立学園、横浜女学院、横浜英和女学院という歴史的なキリスト教主義学校があり、短期の英会話教師が入れ替わりで来日しています。彼らは非常に宣教の意識が高いのですが、教師であるため学校では思うように宣教活動ができないことから、週1回放課後に生徒たちを「グリーンハウス」に集めて、英語での聖書の学びや証しなどを行っています。平均15~20人、イベントの時は70~80人が集まります。

 この「グリーンハウス」の中に08年、「子どもと礼拝センター」を開設しました。「子どもと礼拝」プログラムでは、教具を広げて礼拝を行いますが、日本の教会や幼稚園の現状では、このような場所を作ることが難しく、イメージが湧きにくいと思い、その雰囲気を掴んでいただけるよう、モデルセンターとしました。

 同所では年2回のセミナーの他に、「大人のための礼拝」プログラムも毎月行っています。「子どもと礼拝」プログラムは大人の心にも働き掛けるものであり、実際に大人の方にも体験していただきたいと、2011年の東日本大震災を機に始めました。カトリック、聖公会、日基教団、日本キリスト教会、日本バプテスト連盟、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団などから、牧師や教会学校の教師が超教派で参加しています。

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 従来の教会学校は、最初に合同の礼拝があり、分級で聖書を教えていくという形が多いと思います。最初の礼拝はごく短く、皆で賛美歌を歌い、お祈りをして分級の活動になりますが、その礼拝の部分をもっと大切にしたらどうか、と考えたのが「子どもと礼拝」プログラムです。聖書や神さまのことを学ぶのではなく、このプログラムを通して子どもたちが神さまを体験していく。「体験型礼拝」と呼んでいますが、神さまに実際に出会っていくように組み立てられたプログラムです。

 なぜ普通の礼拝で子どもたちはなかなか座っていられず、騒いでしまうのか。子どもたちが自分自身を表現し、自分たちに分かる方法で神さまへの情熱や愛を表すことができるプログラムが必要なのではないか。子どもたちは自分の気持ちを表すためにも、理解をするためにも、まだまだ言葉が足りない。そうした中で、道具を介して物語を聞いていく、また自分の気持ちを表していく、ということができるのではないか。

 そのような前提のもと、プログラムでは、わたしたちが動かすフィギュア(人形)を子どもたちに見せていくことによって、聞いて分からなくても、動きによって聖書の内容が伝わっていきます。フィギュアは抽象的な形をしていて、顔が描かれておらず、色も付いていません。これをゆっくり動かしていく中で、子どもたちは想像力を使ってフィギュアに表情を見て、聖書の物語の中に自分が投影されていくような感覚を覚えます。

 プログラムを行う時は、話し手を中心に、子どもたちが輪を作るように床に座ります。「良い羊飼いであるイエス様」がこのプログラムの中心的テーマだからです。また、中心の棚にある大きなろうそくが「世の光であるイエス様」を表しており、いつもこれが見えるようになっています。

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 さまざまな種類の教具がありますが、その一つ「たとえ話の箱」は、イエス様が語ってくださった「たとえ話」が収まっています。「たとえ話」は他の立体のフィギュアとは異なり、紙=平面です。「たとえ話」はイエス様が作られたお話なので、史実と区別する意味があります。そして平面なので「表」と「裏」があり、この話を通してイエス様は別の何かを伝えようとしておられる、という関係を表しています。それを箱の中に入れることによって、それが秘められたものであり、わたしたち自身が蓋を取って関わっていかないと分からないのだ、ということを表現しています。

 また、室内遊び用の砂が60㌔入っている「荒れ野の箱」では、特に旧約聖書の荒れ野で起こる物語を行います。砂の中でフィギュアを動かしていくと、砂に陰影と線ができ、小さい箱の中で時間と空間が広がっていきます。

 物語を聞いた後、子どもたちはこれらの道具を使って実際に遊ぶことができます。自由な活動の時間を通して、自分が聖書の物語から受けたものをもう一度思い巡らして表現していく、大事な時間です。

   

 

神さまのみ言葉の中で静かに自分を見出す

 礼拝には、「準備」「み言葉を聞く」「み言葉に応答する」「祝福と派遣」という四つの柱がありますが、その通りにこの「子どもと礼拝」プログラムは作られています。特に最初の「準備」を大切にしており、「わたしはこれから神さまと時間を過ごす」という意識付けを与えることによって、その空間が聖なるものに変わっていきます。

 まずは、リラックスして深呼吸し、「急がなくていいんだよ」と確認して、子どもたちを安心させます。そして、準備は自分でできるものであり、その中でも一番大切なことは「静かになること」だと伝えます。先生に「静かにしなさい」と言われるのではなく、「自分でできるんだよ。なぜなら神さまが心の中に静かさをくださっているからね」と、神さまを知る魂を持っていることを教え、それを自ら見つけ、体中に広げていくために歌を歌います。静かになって準備ができたところでお話を聞きます。

 話をしている間、語り手は絶対に顔を上げて子どもたちとアイコンタクトをしません。物語が始まった時点で語り手の存在は必要ありません。「荒れ野で叫ぶ者の声」になります。み言葉だけあればよいのです。語り手が集中すれば子どもも集中します。子どもが騒いだとしても絶対に顔を上げない。その意志に子どもたちはついて来てくれます。

 行儀が悪かったり、体調が悪くてどうしてもじっとしていられない子どもには補佐の人が対応します。

 話の後に、物語を振り返って思い巡らしの質問をします。その時には顔を上げて子どもたちに語りかけていきます。例えば迷子の羊のたとえ話の場合、「柵の中にいる羊はどのような名前だったかな?」「羊は何匹柵の中に入れるかな?」「迷子になった時、羊はどう感じたかな?」「皆は迷子になって見つけてもらったことがあるかな?」「見つけてもらった時にどう思ったかな?」と、子どもの感覚に訴える質問をして、感想を出してもらいます。羊の数を「5」と答えようと、「3千」と答えようといいのです。「この子はこんな風に感じるんだ」と、子どもたち自身が分け合っていくことによって、神と自分だけの物語の世界ではなく、皆と物語、つまり「公同の礼拝」の要素が出てきます。自分の神さまであると同時に皆の神さまであり、「わたしたちは神の民」という、お互いに対する思いやりの心、理解の心も育ってくるわけです。

            
 その後の活動の時間では、自由に思ったことを表現してもらいます。フィギュアを使って物語を再現しても、絵を描いてもかまいません。羊飼いの話をしたからといって、「羊飼いの絵を描きましょう」とは絶対に言いません。まったく関係ない絵を描く子もいますが、わたしたちは何も言いません。「上手だね」「かわいいね」「きれいな色だね」といったコメントも絶対にしません。「神さまに自分が話をしている時間」という意識付けなので、子どもたちは静かに黙々と取り組みます。

 最後にろうそくに火を付け、「神さまにどんなことをありがとうと言いたい?」と聞いて一緒に祈っていきます。そしておやつを一緒に食べて賛美の歌を歌って祝福を受けて派遣されていく、という流れです。

 なかなかすべてを行うことはできないので、物語と思い巡らしの部分だけを取り入れる人も多いと思います。

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 これはあくまでも「礼拝」ですので、教会学校の「教育」の部分はこの中にはありません。このプログラムを実践しているからといって、教会学校はやめないでください。大人の場合でも、礼拝に出席しても聖書研究をしない人は成長しませんし、反対に聖書の勉強をしても礼拝しない人はキリスト者とは言えません。同じ考え方です。

 従来の子どもの教会教育を考えた時に、「礼拝」の分野は手が薄かったのではないでしょうか。それを強めていくことによって、ティーンエイジャーになっても離れない子どもたちが生まれるのではないかと期待しています。礼拝に来ることの大切さを小さい時から知るわけです。

 特に日本では、忙しい社会の中にあって情報があまりにも多すぎる。いつもそれに脅迫されているような状況の中で、そういうものを一切置いて、「安心して。時間はたっぷりあるよ」「ゆっくりしていいんだよ」「静かになっていいんだよ」と言ってもらえる場所はないと思います。教会は子どもたちが自由にできる場所かもしれないけれど、教会にも情報の波、この世の波は押し寄せている。この世と競っていかなければいけないという意識が教会の中にもあって、「子どもたちを集めるために楽しいことを企画しなければ」「もっと工夫をしなければ」と、いろいろな試みがなされてきたと思います。

 わたしは、このプログラムが与えてくれるものはすごく貴重だと思っています。神さまのみ言葉の中で本当に静かになって自分自身を見出し、神さまを見出し、「自分はいてよかったんだ」と思える場所を提供する。それは教会にしかできないこと。教会はそれを実践していくべきだと思います。

 わたしは月に1度、キリスト教系の幼稚園でもこのプログラムを行っています。感謝の祈りの時に、子どもたちにどんなことを感謝したいか尋ねると、「友だちがいて嬉しい」「おもちゃがあって嬉しい」といった子どもらしい答えの中で、「静かにさせてくれてありがとう」「こういうわたしを創ってくれてありがとう」という言葉が幼稚園児から出てきます。このプログラムを行うと、本当に神さまと子どもは出会っていく。自分の姿が分かり、安心できるのです。

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 このプログラムは子どもだけでなくお年寄りの方にも向いていると思います。想像力は何もないところからは生まれてきません。経験の中から生まれてきます。年配の方はその経験が長いので、より複雑で深いものをこの中にご覧いただけると思っています。

 昨年から「導き手認定コース」を設置しました。年2回の定例セミナーと、「大人のための礼拝」全12回の参加者を認定することによって、自信を持ってこの働きに取り組んでいただきたい、という願いから始めました。現在14人が登録していますが、各教会で実践するきっかけになればと思います。セミナーと礼拝は「認定コース」以外の方でも参加できます。

 「子どもと礼拝」は1年を通じてのプログラムですが、アドベントやレントの期間に用いたり、夏のキャンプの際に礼拝として実践するなど、皆さんさまざまな形で取り入れてくださっています。

 今年何人の認定者が出るか、またその方たちがどのように活動を発展させてくださるか、大きな希望です。

 「子どもと礼拝の会」への問合せは、西堀和子氏(Eメールycaw2004jp@yahoo.co.jp、FAX055・226・8015)まで。詳しくは、ホームページ(http://ycawjp.blogspot.jp/)を参照。

 

 

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