「宗教改革は常に続く」 徳善義和氏が浦和ルーテル学院で「教育」語る 2017年2月11日

 ルター研究の第一人者として知られる徳善義和氏(ルーテル学院大学名誉教授)が1月24日、「宗教改革と子どもの教育――現代の教育のためになにを学ぶか」と題して浦和ルーテル学院(さいたま市緑区)で講演した。同学院PTAが宗教改革500年を記念して開催したもので、一般の参加者も含め約80人が参加した。

 同氏は「宗教改革500年記念」の「記念」という言葉を取りたいと述べ、「宗教改革を思い出して記念しているようではいけない」と主張。昨年10月、スウェーデンのルンドでローマ・カトリック教会とルーテル世界連盟が合同礼拝を行い、声明を出したことに触れ、カトリック教会の変化に注目。ルーテル教会を含め、教会はいつの時代にも改革されていかねばならないと訴えた。

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 同氏はまず、宗教改革当時の教会と社会について解説。16世紀の教会では、礼拝はラテン語で行われ、聖書もラテン語以外の翻訳は禁止されていたため、庶民は教会の教えの意味が分からなかった。当時の教会の考えは、人間が善を行いそれを神が認めるというもの。人々の罪を消すという名目で教会は『免罪符』を販売した。そのような中、1517年にルターが『95箇条の提題』をヴィッテンベルク城の教会の扉に貼り出した。

 「ルターの考えは聖書が中心で、我々が善い行いをしたから天国に行けるのではなく、罪深い我々を助けるために神はキリストを人間に送ってくれたというもので、当時の教会の考えから180度転換したものだった」と述べた同氏は、ルターが民衆のためにドイツ語での礼拝や説教、賛美歌を取り入れ、ドイツ語による信仰著作やドイツ語訳聖書などを次々に生み出していったことを説明した。

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 続いて同氏は「当時のヨーロッパでは子どもは小さい大人という概念しかなかった」と指摘した上で、ルターと教育の関係について語った。

 教育にも強い関心を抱いていたルターは、ドイツ全都市の参事会員に宛て、少年のための学校の設立についての書簡を送った。当時の庶民はラテン語だけでなく、ドイツ語も読めなかった。子どもが家の働き手だったので親は教育に関心がなく、一部の子どもが通う学校もラテン語を教えるものだった。「そのような家庭で育ったルターは、学校設立を呼び掛けた書簡の中に、子どもの教育に必要な科目として、ドイツ語、古典語、聖書、音楽、歴史、数学などを挙げていた」

 同書簡には「少女のための学校と、そのための女性教師の養成も必要」と書かれていたという。「女性に学問を授けることは無意味だと考えられていた時代に、ルターがいかに革新的な考えを持っていたか」と同氏。

 ルターの呼び掛けに応え次々と学校が設立されるも、親は子どもを学校に通わせなかった。見かねたルターは、今度は親たちに向け、子どもの教育に親はどう関わるべきかを説いた書簡を記した。

 「『宗教改革』を『教会改革』と言い換えた方がいいのでは、という意見を耳にするがそれは間違い。宗教改革とは教会の改革だけでなく、教育や社会すべてを含む改革だった」と同氏は強調した。

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 ルターは42歳の時、ライプツィヒ近郊の女子修道院を脱走してきた26歳のカタリーナと結婚し、6人の子をもうけた。「子どもを育てることとは、親が子どもの進みたい方向にどう道筋をつけるかであり、親の決心も必要」と同氏。ルターは子どもがなりたいものになれるよう努力した人であり、仮に子どもが農民になりたいと言えば、優れた農民を探し、その人の前にひざまずいて我が子を託すという趣旨の言葉をルターが残していることを紹介した。その上で、「子どもの能力と関心に従って、どの道へと子どもが向かっていくのか、親が傍らで見守ることが必要」と訴えた。

 最後に保護者と学院に向け、「ルーテルの名を冠する学院は、今も改革の流れの中にいるということになる。親も常に改革され続け、その思いが子どもに伝わり、自らの歩むべき道を見出していけるようになるべき。親御さんたちが、自分も子どもと一緒に改革されていく覚悟を持ち、お子さんと日々を楽しく過ごされるよう願っている。そうすることによって、宗教改革は常に改革されるものとして続いていく」と締めくくった。

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