【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 なぜ教会には招かないのか キョウカイブラック 2017年10月11日

 俺はライブハウスで人々のリアルな姿を見る。クリスチャンがクリスチャンをライブに、クリスチャンがそうでない人をライブに、そして時にクリスチャンでない人がクリスチャンをライブに連れてくる。

 「牧師さん、教会は行かなくてライブばっかり来てごめんね!」そんな声も聴いた。そればかりか、ライブハウスではウイスキーを手にしたおっさんから「おー、牧 師さん!俺の懺悔を聴いてくれよ!」とか、若い姉ちゃんから「牧師さんの教会で結婚式挙げてくれる?」と尋ねられることも多々ある。

 だが、教会ではそんな場面に出くわすことはほぼない。俺からするとライブハウスと教会の敷居は同じぐらいだと思う。どちらも決して行きやすい場所ではない。だとしたら、なぜ彼らは人をライブハウスには連れて来るのに、教会には連れて来ないのだろうか?

 俺は考えた。彼らが、ロックのライブが好きだからというだけではない。俺たちがステージの上を楽しみ、そこに魅力を感じ、それが人々に伝わっていくからだろう。

 そんなあふれる魅力がお前らの教会にあるか?牧師よ、お前はお前の友人を礼拝に呼んだことがあるか? 信徒たちよ、お前は礼拝にお前の友人を招いたことがあるか?その数十年の信仰生活で何人の友人を礼拝に招いたことがある?おそらく、それほど多くはないだろう……。


 理由は何だ?信仰は個人のものだから押し付けたくない、職場や家庭で宗教の話はちょっと……そんなところだろう。だがそれは表面的な理由にしか過ぎない。おいしいレストランがあ れば、家族や友人に「おいしい店があるから行こう!」と誘う。感動した映画があれば友人に勧め、SNS にも感想を書く。友人に紹介したい素晴らしい人物がいれば「ぜひ会ってくれ!」と場を設けるはずだ。聖書を読めば、イエスの周りにはいつも多くの人々が集まっていた。癒しや食事だけではない、ことばや行動を超えたあふれ出す魅力がそこにはあったのだろう。

 だが、なぜ人は教会の礼拝に人を招かないのか?理由は簡単だ。招く価値を礼拝に感じていないからだ。形骸化した礼拝に何となく参加することに飼いならされ、謎の義務感を信仰と呼び、毎週小難しい牧師の説教をうつむきながら我慢して30分聴き続けているのだろう。そこに魅力は当然なく、もちろんそこに人を呼ぼうという気持ちなど起きるわけはないのだ。

 おい、牧師たち!お前の魅力は何だ? おい、信徒たち!お前らのクリスチャンである魅力は何だ?そしてお前たちの教会の魅力は何だ?? バザーやゴスペルコンサートじゃねえぞ。そんな当たり障りのないことじゃなく、当たって障りまくる生き方こそがキリストの生き方であり、そこに人がついていく魅力があったんじゃねえか? だから、牧師は信徒や教会をさらに魅力的にすること、信徒は牧師と教会を魅力的にすることに心血を注いでほしい。そのために牧師は自ら率先して当たって障って冒険し、自分を磨いていけ。

 牧師プロフィールにある定番の趣味「映画鑑賞」「読書」「散歩」の三位一体を超えていくんだ。本当にやりたいことをやればいい。牧師は教会の留守番ではないし、休みを取らずに働くのは美徳でも何でもない。しっかり安息し、やりたいことをやり、そして喜びを持って礼拝を導いていくのだ。だから俺は今日もロックし続け、そしてロックすることが牧師だと信じているのだ。

キョウカイブラック
 黒田ジョスィ(くろだ・じょすぃ) ロックバンド、カフェなどで教会の常識と敷居を打ち破り、福音を世界に響かせるはみ出し系ロッカー牧師。 キリストこそROCKだと信じてやまない、熱い魂(ハート)の持ち主。教会での働きは意外にも真面目!? 武器:罪人重低音ベース/必殺技:ジーザス・クライスト・ロッケンビーム/弱点:理屈

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