【2・11集会】 天皇制とバアル宗教との類似性 『新改訳2017』翻訳の津村俊夫氏が指摘 2020年3月1日

 日本同盟基督教教団「教会と国家」委員会は2月11日、中野教会(東京都中野区)を会場に、『聖書 新改訳2017』の翻訳編集委員長を務めた旧約聖書学者の津村俊夫氏(聖書神学舎教師)を講師に招いた2・11集会を開催。同氏は「天皇制という宗教のある国で、キリスト者として生きる――キリストの仮面を被った日本教徒にならないために」と題して講演を行った。

 まず、テレビなどのマスコミではあまり報道されない天皇の姿として、天皇が宮中・皇居で宗教祭祀を日常的に「熱心に」執り行っていることを紹介。天皇は大嘗祭で――憑霊や聖婚など諸説あるが――女神アマテラスと「ご一体」になり「神化」を果たすことによって、神がかったシャーマンとして、日常的に宮中三神殿でアマテラス崇拝(太陽崇拝)、天皇家祖先への先祖崇拝、八百万神の神々への崇拝(自然崇拝)を行っているという。

 同様に、旧約時代のカナンにおいても、王家の祖霊崇拝、死後の神化、太陽崇拝が行われており、カナンの王も「神」と考えられ、死後「神化」されていた。また旧約聖書において偶像として名高いバアル神は、特定の場所に現れる、それぞれの土地に結びついた「地方神」として崇められていた。イスラエルの民が陥った過ちは、見えない神を可視化(偶像化)したことだとし、前9世紀の「クンティレット・アジュルド碑文」にある「サマリアのヤハウェ」「テマンのヤハウェ」という言葉について、「モーセの兄アロンや北イスラエル王国の王ヤロブアムが民を思い、ヤハウェを『金の子牛』として可視化したことは、バアルが『どこどこのバアル』と呼ばれたように土地に結びついた『地方神』化してしまったことを指している。結果として、ヤハウェを礼拝しているつもりが、実は『ヤハウェの仮面を被ったバアル宗教』を推進していたことになっていた」と指摘。預言者たちもこれを警告(イザヤ44:18、アモス5章)していたと加えた。

 他方、日本の教会指導者も戦時中、教会を思い、迫害から守るために神社参拝、宮城遥拝などを「文化であり宗教ではない」とし、国内や占領地の教会へ神社参拝などを勧めた。津村氏は「教会は『宗教としての天皇制』に従ったと思ってはいなかった。まさしく宗教であるのに『宗教ではない』と自己暗示をかけていたので平気でいられた。同じように霊的に盲目になっていたイスラエルの民もバアルに従っていると思っていなかった」と述べ、現代においてもキリスト者でありながら、神化した人である天皇を「宗教ではない」と礼賛、崇敬することは、十戒の第一戒、第二戒を破ることだとした。

 さらに、「天皇に対して抱いている個人的心情にかかわらず、天皇制そのものが単なる文化、俗習ではなく宗教であることをよく認識し、見張っておく必要がある。『日本国民なら誰でも天皇に敬意を示すのが当然』とし、宗教性を持つ天皇制によって国民統合を推進することは『信教の自由』の侵害と言わざるを得ない」と結んだ。

 英国の君主制が引き合いに出されることについて問う本紙の取材に津村氏は、「英国で神の下にある一キリスト者を君主とすることと、神々の憑霊・一体化により神化された天皇を元首とすることとは、根本的に意味が異なる」と応答した。

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