【既刊再読 改めて読みたいこの1冊】 『日本民話の神学』 栗林輝夫

『日本民話の神学』(日本基督教団出局、1997年

 「欧米神学をけんめいに摂取しようという営みは、日本、ひいてはアジアの精神風土や宗教、ものの考え方にたいする軽視になってあらわれました。「脱亜入欧」のイデオロギーはなにも日本の国家だけのものではありません。それは日本やアジアの教会一般を今も支配している雰囲気です」

 本書は、日本神学史に名を挙げずにはいられない、栗林輝夫の「日本の民衆的知を神学資料にした」著作である。解放を主題にし、被差別部落の民話を活用した『荊冠の神学』の地平に続く試論といえる。

 「これといった権力も富もないごく普通の日本の民衆、柳田國男の言葉でいえば「常民」の経験を分析して、それを聖書のロゴスに降りあわせるという試みは、私の知るかぎり、これというものがありませんでした。欧米のお伽話そのままを取り上げたり、日本の純文学作品をキリスト教の視点から論じたものはありましたが、日本文化の基層をなす市井の人々の経験に焦点をあわせるものはなかったのです。また神学方法として「二つの物語の統合」(民衆神学)とか「相関の方法」(ティリッヒ)の提唱はありましたが、日本の民話と神学を具体的にどう綴り合せるのかの手本はありませんでした。(中略)ひとつは日本の民衆に伝えられた民話、もうひとつは聖書のいろいろな物語――これらを「歴史の下側から」(解放神学)互いに降りあわせること、民話の中に無名な人々の息づかいを読み取って、それを聖書に応答させること(中略)民衆の視座に学んで伝統的な聖書の読みを変え、民衆的知のパラダイムによってオーソドックスな神学を批判的に転換したいと考えた」

 栗林の筆致は文字通り、日本民話を「漂流」する。五章構成の各小題は、一寸法師とボンヘッファーが論じられ、シンデレラと四国遍路が肩を並べる。第五章「意外な知らせ・じつは桃太郎は女だった 讃岐の女桃太郎とイエス・クリスタ論」は、中心と周縁を経験した著者だからこそ語れる視点の可笑しさと鋭さを兼ね備えた、本書の白眉ともいえよう。

 著者の文学的才能と感性、碩学たる知性が縦横無尽に交錯し、新たな世界を編み上げて現出させる。内村鑑三以来の問い「二つのJ」への応答が「日本民話の神学」的地平に立ち上がる。栗林輝夫セレクション1『日本で神学する』の第5章は「民話・ユング・聖書――『日本民話の神学』補論」と題されている。日本語で神学を営む者は避けて通れない、著者渾身の1冊。

【本体2,500円+税】
【日本基督教団出版局】978-4818402904

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