【映画評】『ディア・ピョンヤン』/『サラエボの花』/『そして、私たちは愛に帰る』 赦し、愛、再生に出会う旅のお供に

 「ディア・ピョンヤン」Dear Pyongyang の監督、梁姫(ヤン・ヨンヒ)は、大阪・生野で朝鮮総聯の幹部として人生のすべてを「祖国」にささげる両親のもとで育った。幼いころから家庭でも学校でも民族教育を受けてきた彼女は、反発や葛藤を抱える。自分の人生は自分で選び取りたい娘と、頑固一徹、愛情深く、時には弱いアボジ(父)の姿。泣いたり笑ったりしながらの長い対話の中で、父の生きてきた時代、一途に信じてきたものについて解きほぐし、考えていく。

 地方でキリスト教会の牧師の娘として生活していた私は、日本社会のマイノリティーとして生きる家族の姿にどこか懐かしさも覚える……。

 

 「サラエボの花」Grbavica1992年、旧ユーゴスラビアが解体していく中で勃発したと言われるボスニア内戦。10代でこの紛争の最中を過ごし、現在、30代のヤスミラ・ジュバニッチ監督の作品。ひとりで12歳の娘サラを育てるエスマは、厳しい生活の中で、サラをなんとか修学旅行へ行かせてやりたい、と金策に走り回っている。紛争の最中に、民族浄化の名のもとに強姦され、子どもを産まざるを得なかった女性たち。残された傷が人生を支配しているかのように思える中で彼女は語る。
「妊娠しておなかが大きくなっていくのをどんどんと手でたたいた、流産しないかと。出産したあと、子どもの顔も見たくなかった。でも、次の日から母乳があふれて、連れてこられた子どもを見たとき、こんなにも美しいものがこの世にはあったのかと思った……」

 

 「そして、私たちは愛に帰る」Auf der Anderen Seite。早くに妻に先立たれ定年を迎えたアリは、同じトルコ出身の娼婦イェテルと同居を始める。大学教授をしているアリの息子ネジャットは彼女から、稼ぎの大半をひとり娘の学費として送金していることを聞き、心を開くようになる。第2部は、ネジャットの務める大学で学ぶドイツ人女子学生ロッテと母スザンヌ、そしてその家に転がり込んだイェテルの娘アイテンの物語。ドイツとトルコ。キリスト教とイスラム教。トルコ移民2世の監督がそれぞれの側から、境界を越える人々の間にかける橋。その底辺にあるのは、共通の物語であるアブラハムのイサク奉献にまつわる物語。ふたつの側を浮遊しつつ行き来していたネジャットは思い出す。「神を敵にまわしても、お前を守る」とかつてアリ(父)が語った言葉を。

(増田 琴)

 

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【Ministry】 特集「教会と女性 」/ハタから見たキリスト教 辛淑玉さん 6号(2010年6月)

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