「南米の賛美歌は、いま」 パブロ・ソーサ氏を迎えて日本賛美歌学会第9回大会開催 2009年10月3日
日本賛美歌学会(徳善義和会長)は9月12日、日基教団吉祥寺教会(東京都武蔵野市)で、「南米の創作賛美歌――会衆歌唱を豊かにするために」をテーマに第9回大会(横坂康彦実行委員長)を開催し、会員ら60人が参加した。2001年に発足した同学会ではこれまで、2、3年に1度海外から講師を招き、世界各地での賛美歌をめぐる新しい動向に触れ、学び、歌ってきた。今大会では、国際賛美歌学会でも注目を集めたアルゼンチンの賛美歌作家、パブロ・ソーサ氏(アルゼンチン・メソジスト教会牧師)を迎え、「南米の賛美歌は、いま」と題する主題講演に耳を傾けた。会長の徳善氏による報告記事を掲載する。
この大会のために学会運営委員会ではソーサ氏と前もって緊密な連絡を取り、ソーサ氏の作詞作曲を中心とした創作歌18曲を選んで、翻訳の共同作業を重ね、大会資料の歌集『おお なんという恵みよ』を出版した。
大会では午前午後の2回に分けてソーサ氏の講演があり、共に歌いもした。講演に挟まれた昼食後の時間には、「知ろう、歌おう! 南米の賛美歌」としてもっぱら歌うひとときももった。タンゴ、ミロンガ、カンドンベといった南米のリズムに乗った賛美の歌の一日となった。
ソーサ氏は2回の講演の中で、まずは自身の新しい歌の創作の過程を語った。教会歌に応じた最初の創作から、アンデス地方やアボリジナルの文化との関わり、ペンタトニックの研究を経て、次第に民謡のスタイルを取り入れた作品へと進んで、多くの人々に認知され、歌われるに至ったプロセスを語った。賛美歌創作に関わる自伝の趣があった。
午後の講演は、南米における教会賛美歌の歴史の感があった。宣教師たちの活動と共にもたらされた賛美歌は伝統的なもので、民族固有の音楽は「異教的」として斥けられたという。しかし、いわゆる土着化、脈絡化のプロセスの中で、解放の神学の台頭もあって、民衆の状況に適合しつつ、文化に固有の音楽に応じた創作の可能性が開けてきたのである。黒人の音楽の影響もあった。ミロンガ、カンドンベ、タンゴなどのリズムをあるいは速く、あるいはゆっくりと、民衆の生活やその苦悩に触れて歌う創作歌が増えていくのである(この2回の講演は来年発行予定の学会紀要第4号に全文掲載の予定)。
講演は歌集を手に、共に歌うことを挟んで進行したから、南米創作賛美歌の祭典でもあった。われわれにとって、こうした賛美の歌の可能性に目を開かれるプロセスでもあった。賛美歌としては慣れないリズムやテンポに参加の全員が次第に乗っていく、いやソーサ氏の指導の下で乗せられていくプロセスでもあった。
翌日の新潟での二つの講演予定のために出発しなければならない時間が迫っても、ソーサ氏は熱弁、いや熱演を止めなかった。最後に歌った「だから今日 希望がある」では、腕を振り上げ、振り下ろし、遂には自らキーボードの前に座って、「楽譜通りに弾けばこうだが、楽譜通りには弾かないのだ。われわれはこれをこう弾く」と言って伴奏するまでに至ったが、それは文字通り、その文化の中で生まれ育った者でなければ表現することのできない(言ってみるならば、演歌のこぶしのような)趣を伴って圧巻だった。会する者、興奮と感慨の内に、大会の部を終えて、新潟に向かうソーサ氏を拍手で送り出した。わたし自身それ以来のここ数日折りある毎に、「だから今日 希望がある」とタンゴのメロディーを口ずさむほどである。こうして、大衆の賛美歌とはルターのコラール以来、こうした側面をもってきたのだということを実感もしている。
ソーサ氏は新潟(13日に2回。参加170人)、東京(15日、40人)、神戸(16日、100人)と講演を続けて、17日に離日した。賛美歌学会にとってばかりでなく、日本の賛美歌にとって一石を投じた来日であったことを確信する。これを受けて来年の大会は「賛美歌と文化的広がり」をテーマに計画する予定である。なお歌集は学会事務局もしくは教文館キリスト教書部において頒布価1000円で入手可能である。(とくぜん・よしかず=日本賛美歌学会会長)