原発に「被造物のうめき」 明治学院大学キリスト教研究所が講演会 2011年7月23日
聖書から福島の事故を考える
上山修平氏“方向転換”に期待
明治学院大学キリスト教研究所(播本秀史所長)は、日本キリスト教会横浜海岸教会牧師の上山修平氏を講師に迎え、「被造物のうめきが聞こえる——聖書からみた福島原発事故」と題する講演会を7月8日、東京都港区の同大学で開催した。約30人が参加し、同研究所客員研究員の今村正夫氏(日基教団代官山教会牧師)がコメンテーターを務めた。
京都大学工学部機械工学科を卒業後、東芝でCT(放射線断層撮影装置)の設計開発に携わった経験を持つ上山氏。12年前の東海村臨界事故の際にも、放射線の危険性を指摘してきた。「放射線が出す障害は、今なおすべてが分かったわけではない」と、今回あらためて放射線の恐怖を語った。
その上で、聖書から見えてくる問題として三つの点を指摘。バベルの塔の物語(創世記11・1〜9)を、塔を建て続けることによって起こる悲惨を止めるべく神が介入した出来事として読むべきだとし、現在の状況を「神の恵みの停止の介入の時」とするか、「もっと大きな悲惨を経験すべく神の停止を振り払ってさらに前進する時」とするか、判断が委ねられていると語った。
また、ローマの信徒への手紙(8・18〜25)から「被造物のうめき」(8・22)に着目。「神の被造物の一つであるウランがうめくうめきを人間がエネルギーとして利用しているのではないか」と述べ、不自然な方法による自然利用からの方向転換を訴えた。
さらに、使徒言行録(24・25)でパウロが話す「正義と節制」が求められていることも強調した。
また、電力会社が原発を作り続ける理由として、「総括原価方式」と「電源三法」を指摘。「日本は今も放射性核種を世界中にまき散らしている加害者であることを忘れてはならない」と述べ、エレミヤ書を通して、イスラエルにとってのバビロン捕囚と、日本にとっての福島原発事故を比較した。
「(日本がこの体験で)変わらなければ、またどこかで事故が起こる。それで日本は滅びても世界への警鐘にはなる」とした一方で、「神さまと世界の人々に喜ばれるような方向にこの国が向かって行けたなら、苦しみと悲しみは喜びへと変えられていくのではないか」と述べ、今後の日本の変化に期待を込めた上山氏。
「『命に対する不安』と『電力不足に対する不安』は質的に違う。両者を並べて論じたり、報道したりしてほしくない。なぜなら、電力を作り出す方法は他にもあるのだから。事故が起こらなくても放射性核種を毎日出し続けている原発、被曝する労働者がいて初めて動かせる原発はおかしい」と結んだ。
“教会全体で取り組みを”
今村氏は、「放射線の脅威」を「核の脅威」と位置付け、「日本人として振り返る原点」として、広島と長崎の原爆を強調。「原子力技術が核兵器の技術として始まった歴史がある」と述べ、九州電力玄海原発の運転再開をめぐるメール問題や使用済み核燃料の問題などを例に、「欺瞞に満ちている。国民や市民を欺くようなやり方がある」と主張。スリーマイル、チェルノブイリ、東海村の事故から悔い改めていないと指摘した。
「キリスト教の役割はどこにあるのか」との今村氏の問いかけに、上山氏は、横浜海岸教会の信徒の1人が取り組んでいた署名活動を、教会全体で取り上げて賛同を呼びかけた例を紹介し、「信徒一人ひとりはこのような問題を本当に考えている。教会は信仰が内向き。聖書の福音は現代の問題に力を持っているはず。それを語り、それを聞いて教会全体が取り組んでいくべき」と答えた。