関東大震災の教訓を今に クリスチャンアカデミー関東活動センター 2011年7月23日

 日本クリスチャンアカデミー関東活動センターは7月9日、「関東大震災を宗教者はどう受け止めたか」をテーマとする宗教対話プログラムを日本キリスト教会館(東京都新宿区)で開催した。
 1923年9月1日の関東大震災を、内村鑑三、植村正久、柏木義円、賀川豊彦がどう受け止めたかについて、鈴木範久(立教大学名誉教授)、五十嵐喜和(日本キリスト教会茅ヶ崎東教会牧師)、山口陽一(東京基督神学校校長)、戒能信生(東駒形教会牧師)の各氏がそれぞれ過去の文献などをもとに発題した。
 冒頭で鈴木氏は、「関東大震災を境に、日本のキリスト教が政府の要望に応じるかのような動きを強めていったと言える。今回の震災後の動きを見ても、ナショナリズムが強まっているように感じる」と指摘。
 関東大震災が起きた当時、地震を「天譴」「警告」「摂理」とする解釈が大勢を占め、「悔い改めが必要」「犠牲者は堕落した東京市民に代わって贖罪の死を遂げた」というのが多くのキリスト者の受け止め方だった。鈴木氏によると、内村鑑三もほぼ同じ見解だったが、地震現象については「正義も道徳も」ない「天然現象」とし、科学的解釈と信仰的解釈を分化する必要性を訴えていたという。
 植村正久の反応について発表した五十嵐氏は、特に説教に注目し、震災後初の説教と思われる「神の業の顕れんためなり」や、ルカ福音書による「篩われて大命を奉ず」、生前最後になされた「既往を顧みて」などから、「悔い改め」の必要性を強調し、被災地での教会再建を重視した植村の姿勢を紹介した。
 山口氏は柏木義円の特徴的な反応として、朝鮮人虐殺や甘粕事件を受けての軍拡批判を挙げ、『上毛教界月報』299号(10月15日)の巻頭言「天を畏れよ」から、「変災に随伴して多くの罪悪が行はれたのは深く哀しむ可きことである、特に変災に乗じて弱者を惨殺したる国民は噫(ああ)禍なる哉」との一節を紹介した。
 戒能氏は、関東大震災に関する賀川豊彦の論考の中で、これまで注目されてこなかった『苦難に対する態度』を取り上げ、ヨブ記の解釈をもとに天譴論に異議を唱え、「断案を下す前に、……苦難の排除に当たらねばならない」「善悪の裁判は(人間の職分ではなく)神の職分である」とした賀川の視点を紹介。震災の翌月に書かれた「暴力の無能」の一節も引用し、直接的な表現は避けながら流言飛語と自警団への批判を展開したことにも言及した。
 続いて同センター企画委員でもある菅原伸郎氏(元朝日新聞学芸部「こころ」編集長)が、仏教者の場合として鈴木大拙の「震災所感」(1923年10月の「中外日報」に掲載)を紹介。自然は「人間以外にあって、人間性を帯びずに人間の心理を超越して」いるのだから「仕方がない」で済ますしかないとの見解には、キリスト教の説く「人格神」への皮肉が込められているのではないかと指摘した。
 会場からは質問が相次ぎ、「過去の宗教者がどう受け止めたかという歴史をふまえて、自分たちがどう発言していくかが大事ではないか」との意見も出された。

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