区民ら250人が非核訴え 原爆犠牲者追悼式 新たに7人を名簿に 2011年7月23日
広島と長崎に原子爆弾が投下されて66年。犠牲者を追悼し、被爆者の体験を後世に伝える「江戸川区原爆犠牲者追悼式」が7月17日、東京都江戸川区の葛西区民会館で開催された。区内在住の被爆者で構成される「親江会」(江戸川原爆被爆者の会)、地域市民、宗教者らによる「江戸川原爆犠牲者追悼碑の会」が毎年7月に開催しているもので、今年が31回目となる。今年新たに被爆者7人が犠牲者名簿に追加され、追悼碑に納められた犠牲者(区内の被爆者とその関係者)の名前は合計301人となった。
「親江会」は、広島・長崎で被爆後、江戸川区に移り住んだ人々によって1966年に結成。被爆体験を語り、非戦・非核を訴えている。02年からは「江戸川平和コンサート」を毎年開催。7月31日のコンサートが10回目となる。
追悼式には区民ら約250人が出席。多田正見区長があいさつし、広島・長崎両市長からもメッセージが寄せられた。また、若い世代を代表して、区内の小中高生が平和への思いを発表。第六葛西小学校6年の伊田有亜さんは、同校の全学年で毎年7月に千羽鶴を折っていることを紹介し、「広島と長崎に原爆が落とされたという事実を絶対に忘れず、平和について考えられる人間になりたい」と語った。
閉会のあいさつは、同区の宗教者が毎年交代で担当している。今年は日基教団小松川教会牧師の佐々木良子氏が担当。「わたしたちは人から愛を欲しがりますが、与えることはしません。愛は犠牲を伴うことだからです。心痛むことだからです」と前置きし、マザーテレサに助けられた男の子の話を例に、「わたしたちは大きなことはできませんが、こうして隣人を愛することで、平和をつくることができるのではないでしょうか」と訴えた。
佐々木氏は、主催者の呼びかけで一昨年から追悼式に参加。それまで式の存在を知らなかったというが、「狭いキリスト教の世界ではなく、地域でいまだに痛みを負っている人がいるということに目を向けていかなければいけない」との思いから賛同した。
追悼碑に参列者が献花
続いて出席者は、区立滝野公園内の「原爆犠牲者追悼碑」前に移動し、献花を行った。この追悼碑は、犠牲者の名簿を納め、原爆の恐ろしさを伝えていくことを目的に、81年7月に建立。その際、区内の宗教者や有識者らが協力し、キリスト教からは、当時日基教団小岩教会の牧師であった澤正彦氏と、同東京シオン教会牧師の花島順一郎氏、日本福音ルーテル小岩教会牧師の江口武憲氏らが賛同。献花の際に読経や祈祷が行われたり、賛美歌が歌われたこともあった。カトリック葛西教会は毎年、千羽鶴を献納している。
追悼碑に描かれた「白い鳩の中に朱色の母子の図」は、「広島・長崎で被爆して犠牲となった母と子が、鳩になって世界中に平和を訴えて飛んでいる姿」を表している。「原爆の図」の作者として知られる画家の丸木位里・俊夫妻が自然石に下絵を描き、市民200人がノミとハンマーを使って40日かけて彫り上げた。
この碑は「成長する追悼碑」と呼ばれ、建立の翌年に「原爆瓦の碑」、83年には「平和の鐘」が造られた。85年には、広島・長崎両市から贈られた「市の木」を植樹。88年には、水を求めて亡くなった被爆者を思い出すために噴水を設置。広島と長崎に原爆が投下された時刻に合わせ、毎日8時と11時の2回、追悼碑に水をかけている。07年には「追悼碑に眠る方たち」の名簿碑が造られた。
追悼式の後、交流会に出席した「親江会」の会員の1人は、福島の原発事故に言及し、「核兵器であろうと平和利用であろうと、原子力は問題がある。原発をやめて自然エネルギーを利用した方向に進んでほしい」と述べた。
8歳の時に広島で被爆した同会事務局の西本宗一さん(日本ルーテル教団東京ルーテルセンター教会員)は、「被爆者だけでなく、一緒に活動してきた人たちも高齢化している。被爆2世も含め、次の世代に活動をどう受け継いでいくかが課題の一つだと思う」と感想を寄せた。