“神学の根本的改革が必要” 日基教団「緊急シンポジウム」で大木英夫氏 2011年9月17日

 日基教団(石橋秀雄総会議長)は8月29・30日の両日、同教団銀座教会(東京都中央区)で「現代日本の危機とキリスト教――東日本大震災を通して問われたこと」を主題に、「緊急シンポジウム」を開催した。中山昇(清教学園元理事長)、芳賀力(東京神学大学教授)、稲松義人(日本キリスト教社会事業同盟理事長)、岡本知之(西宮教会牧師、教団副議長)の各氏がそれぞれ学校、神学者、社会福祉、教会の視点から発題し、聖学院大学大学院長の大木英夫氏が特別講演を行った。

 石橋氏はシンポジウム開催の理由について、「この大震災を信仰的に、神学的にどのように受け止めていったらよいか。それはわたしたちの教会の緊急課題である」と述べた。
 神学者の視点から発題した芳賀氏は、聖書は「善き生の構想を提供している」と述べ、その構想の中にキリスト者一人ひとりが「主にあって死を迎えることのできる者の幸い」を加えるべきであると主張。礼拝を通してそれを社会に向けて発信しなければならないと説き、「この震災の経験を機に、ペストの流行した中で中世の修道士たちが日常のあいさつに用いたと言われる『メメント・モリ(死を覚えよう)』という、そういう根源的な問題に目を開かせ、救いへと導くこと、それが、大勢の人々の死を無駄にしない道だ」と語った。
 さらに、復興・支援への情熱を持ち続ける方法として、神の「コンパッション(憐れみ)」を提示。これは、「他者と情熱を共にすること、他人の苦しみや悲しみを自分のもののように感じ、一緒にそれを負い、他者ができない分、代わって何とかしてあげようとすること」。その具体的な姿が、「悲しみの人となられたイエス」だとし、「他者のためにキリストがそうするのであれば、わたしたちも行って、聖霊の助けのもとでそれをする。これがキリスト者の行動原理。コンパッションの源がここにある」と主張。「それを得るには、神の憐れみの業を今も想起させる礼拝に与って、共に祈るほかない。礼拝から復興支援が始まる」と語った。

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