カトリック司教団がメッセージ 〝いますぐ原発廃止を〟 2011年11月26日

 日本カトリック司教団は11月8日、宮城県仙台市で行われた特別臨時司教総会において、「いますぐ原発の廃止を――福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして」とのメッセージを発表した。日本のカトリック教会には、北海道から沖縄まで16の教区に17人の現役司教がおり、 折々の問題について全員の合意を得たものを司教団メッセージとして発表している。
 司教団は2001年のメッセージ「いのちへのまなざし」でも脱原発を示唆したものの、「(原子力の)有効利用については、人間の限界をわきまえた英知と、細心の上に細心の注意を重ねる努力が必要」と、原発の存続については踏み込んでいなかった。
 3月の震災を受けて複数回に及ぶ議論を重ね、今回、すべての原発の即時廃止を求めるという明確な姿勢を打ち出した。メッセージは全国のカトリック教会に送られたが、具体的な取り組みはこれからだという。
 付帯のコメントでは、「カトリック教会は原発の是非に関する問題は倫理的な問題、人間の命の問題でもあると考え」、「すべての人と連帯して、神の被造物である自然や環境、すべての生命を保護していく責任を持っています」とし、「宗教者として原発の是非について発言する責任を果たしたい」と加えた。
 メッセージを発表するに至った理由については、原発事故以来、政府が国民的な議論を待たず、「なし崩し的」に原発存続、再稼働の方向に動き出し、原発技術の輸出交渉なども再開されていることから、「国民的な議論によって、原発の是非について考える」ため、と説明している。
 さらに、「国際競争力などの点でハンディを負うことになるかもしれませんが、自然エネルギーの開発を推進することで新たな国際競争力を育てるようにするべきです」とし、日本の技術力と国民の節電などによるライフスタイルの転換に期待を示した。

司教団メッセージ
 東日本大震災によって引き起こされた福島第1原発の事故により、海や大地が放射能に汚染され、多くの人々の生活が奪われてしまいました。現在でも、福島第1原発近隣の地域から10万人近くの住民が避難し、多くの人々が不安におびえた生活を余儀なくされています。
 原子力発電の是非について、わたしたち日本カトリック司教団は『いのちへのまなざし―21世紀への司教団メッセージ―』のなかで次のように述べました。
「(核エネルギーの開発は)人類にこれまでにないエネルギーを提供することになりましたが、一瞬のうちに多くの人々のいのちを奪った広島や長崎に投下された原子爆弾やチェルノブイリの事故、さらに多くの人々のいのちを危険にさらし生活を著しく脅かした東海村の臨界事故にみられるように、後世の人々にも重い被害を与えてしまうことになるのです。その有効利用については、人間の限界をわきまえた英知と、細心の上に細心の注意を重ねる努力が必要でしょう。しかし、悲劇的な結果を招かないために、安全な代替エネルギーを開発していくよう希望します。」
 このメッセージにある「悲劇的な結果」はまさに福島第1原発事故によってもたらされてしまいました。この原発事故で「安全神話」はもろくも崩れ去りました。この「安全神話」は科学技術を過信し、「人間の限界をわきまえる英知」を持たなかったゆえに作りだされたものでした。
 わたしたちカトリック司教団は『いのちへのまなざし』で、いますぐに原発を廃止することまでは呼びかけることができませんでした。しかし福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして、そのことを反省し、日本にあるすべての原発をいますぐに廃止することを呼びかけたいと思います。
 いますぐに原発を廃止することに対して、エネルギー不足を心配する声があります。また、CO2削減の課題などもあります。しかし、なによりまず、わたしたち人間には神の被造物であるすべてのいのち、自然を守り、子孫により安全で安心できる環境をわたす責任があります。利益や効率を優先する経済至上主義ではなく、尊いいのち、美しい自然を守るために原発の廃止をいますぐ決断しなければなりません。
 新たな地震や津波による災害が予測されるなか、日本国内に54基あるすべての原発が今回のような甚大な事故を起こす危険をはらんでいます。自然災害に伴う人災を出来る限り最小限にくい止めるためには原発の廃止は必至です。
 原発はこれまで「平和利用」の名のもとにエネルギーを社会に供給してきましたが、その一方でプルトニウムをはじめとする放射性廃棄物を多量に排出してきました。わたしたちはこれらの危険な廃棄物の保管責任を後の世代に半永久的に負わせることになります。これは倫理的な問題として考えなければなりません。
 これまで、国策によって原発が推し進められてきました。その結果、自然エネルギーの開発、普及が遅れてしまいました。CO2削減のためにも、自然エネルギーの開発と推進を最優先する国策に変えていくようにわたしたちは訴えます。また、原発は廃炉にするまで長い年月と多くの労働が必要になります。廃炉と放射性廃棄物の処理には細心には細心の注意を払っていかなければならないでしょう。
 確かに、現代の生活には電気エネルギーを欠かすことはできません。しかし大切なことは、電気エネルギーに過度に依存した生活を改め、わたしたちの生活全般の在り方を転換していくことなのです。
 日本には自然と共生してきた文化と知恵と伝統があり、神道や仏教などの諸宗教にもその精神があります。キリスト教にも清貧という精神があります。そして、わたしたちキリスト者には、何よりも神から求められる生き方、つまり「単純質素な生活、祈りの精神、すべての人々に対する愛、とくに小さく貧しい人々への愛、従順、謙遜、離脱、自己犠牲」などによって、福音の真正なあかしを立てる務めがあります。わたしたちは、たとえば節電に努める場合も、この福音的精神に基づく単純質素な生活様式を選び直すべきです。またその精神を基にした科学技術の発展、進歩を望みます。それが原発のない安心で安全な生活につながるでしょう。

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