高山右近列福祈願シンポ カトリック大阪カテドラルで 2012年2月25日

 カトリック大阪大司教区(池長潤大司教)と日本カトリック司教協議会列聖列福特別委員会(大塚喜直委員長=京都司教)は2月5日、キリシタン大名として知られる高山右近の列福を祈願するミサとシンポジウムを大阪カテドラル聖マリア大聖堂(大阪市中央区)で開催した。

 「現代に響く高山右近の霊性」と題して溝部脩氏(カトリック司教協議会列聖列福特別委員会顧問、前高松司教)が基調講演を行い、パネルディスカッションでは、井藤暁子(大阪教区列福運動推進委員会委員、郷土史研究家)、岡本稔(右近研究会会員)、久保田典彦(同)、後藤光男(茶道愛好家〈裏千家〉)の各氏が発言した。約600人が参加した。

 溝部氏は高山右近について、その洗礼名でもある「ユスト=義人」としての面に着目し、「荒木村重事件」を解説。右近の直属の領主であった荒木村重が、主君・織田信長に謀反を企てた際、村重に人質として息子と妹を渡していた右近は、高槻城内の聖堂に籠り祈った。

 溝部氏は、「祈りから導かれた結論は、大小を捨て、剃髪して信長のもとに向かうことであった」と述べ、祈って行動することが、右近の生涯を貫く原則だったと指摘。人質が解放され、高槻城が無血開城された後、右近が秀吉の棄教命令に対し断固反対したことは、「義のために迫害される人は幸いである」の意味を理解した結果であったとし、「右近にとって『義』とは、イエスの教えとそれに生きる自分の信念であった」と主張した。

 また、千利休の七高弟の1人でもあった右近の「茶人」としての側面にも注目した。遊興性、俗物さを排除した利休の茶の伝統を守り抜いた右近。溝部氏は、「右近は茶室を祈りの部屋にしたと言われる。俗を離れて、しかし俗に生きて神を瞑想する茶室を何よりも愛した。そして、多くの武将を惹きつけた」と論じた。

 続くパネルディスカッションでは、右近がキリストに倣って徹底的にへりくだってイエスとお茶を伝えたことが周りの大名たちを感化したこと、そのお茶は右近の苦悩が集約されたものであったことなどが紹介された。

 ミサで説教した大塚氏は、「右近の列福運動は、右近からのメッセージを注意深く受け取り、自らの反省に生かして回心し、福音宣教の務めを今一度、真摯に受けとめるために、神が与えてくださっている大切な機会」と述べた。

 現在、日本のカトリック教会は、信仰のためにマニラで殉教した右近の列福を、右近の没後400年にあたる2015年までに実現させるべく、ローマ教皇に申請している。シンポジウムは、この列福運動の一環として企画され、右近が示した生き方の現代的な意義と、日本文化の潮流の中で右近が果たした役割を解明することを目的として開催された。また、7日には、大阪教区列福運動推進委員会委員長の川邨裕明氏(大阪教区司祭)を中心とする高山右近巡礼団が、右近の日本での最後の地・金沢を訪問した。

写真(左から)大塚、池長、溝部、松浦悟郎(大阪大司教区補佐司教)の各氏

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