母子生活支援施設「愛の家」が新築 女性3人の働きが福祉事業の拡大へ 2012年5月5日

 3人の女性キリスト者が関東大震災で罹災した母子を受け入れたことに始まる社会福祉法人「愛の家」(太田愛人理事長=日基教団隠退牧師)。同法人が運営する東京都豊島区の母子生活支援施設「愛の家ファミリーホーム」と保育所「愛の家保育園」が2月に新築された。

 愛の家ファミリーホームは、配偶者のいない母親と児童を保護し、生活・就労・子育てなど自立に向けた支援を行う福祉施設。今回、老朽化に伴い全面改築された。鉄筋コンクリート4階建ての建物は定員20世帯で、緊急一時保護室やプレイセラピー室などを完備。1階が保育園(定員70人)になっている。

 愛の家は、1923年の関東大震災の直後、煙山ヤエ、塚原ハマ、新渡戸コト(新渡戸稲造の養女)の3人が東京・巣鴨に罹災母子18人を収容するバラックを建てたことが始まり。新渡戸稲造と縁のあった渋沢栄一の援助や、三井報恩会、原田積善会などの寄付金により、25年に滝野川西ヶ原で母子保護施設を開始し、35年に現在の豊島区長崎に母子ホームを設立。48年に財団法人愛の家を設立し、母子寮を運営するとともに、戦災者11世帯43人を受け入れた。52年に社会福祉法人に移行した。

 理事長の太田氏は盛岡出身。盛岡の女性3人が母子のための施設を作ろうと立ち上がったのは、1896年の明治三陸大津波がきっかけだったと指摘する。岩手県沿岸に被害をもたらした大津波を3人は子どもの頃に知っており、災害に敏感だった。

 「社会運動や女性解放にはしる人も多かったが、それとは別に、目の前に罹災した母子が飢えているのを見ると、とにかく足元からやらなければだめだと結束した。盛岡の女性3人の仕事が、全国的に福祉事業を広げていったという一つの証しになる」と太田氏。

 同施設では土曜学校を開き、母子のためのキリスト教教育を続けている。煙山ヤエが日基教団三崎町教会に属していたことから、同教会から現在も教会学校の教師が派遣されてくる。

 施設には、区の紹介で入所する母子の他に、暴力から逃げてきた人が、駆け込みで相談に来る場合もある。最近では国際結婚した外国人の相談者も増えているという。

 現在、母子生活支援施設は日本全国に269あり、その内、都内には37の施設がある。施設の需要が高まる一方で、その数は年々減少していると施設長の宇波久美氏は言う。「財政が厳しい区もある。施設に入るのに、措置費が1世帯あたり20万以上、生活保護の場合はさらに14~15万かかる。しかし長い先を見た時に、どれだけ子どもやお母さんに力を付けられるかを考えれば、どこにお金を出すかという部分を、わたしたちももっと口に出していかなければいけない」

 福祉の趣旨を展開していく上で大切な要素として太田氏は、「奉仕」「犠牲」を挙げる。「これがなければキリスト教の福祉はできない。今まで証し続けてきたから、それを続けていく」と言う。

 

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