キリスト教学校教育懇談会の第10回講演 髙木慶子氏「キリストの〝こころ〟示せ」 2012年11月17日
「キリスト教学校は、東日本大震災をどう受け止めるか」と題して、キリスト教学校教育懇談会の第10回講演会・シンポジウムが10月27日、聖心女子大学(東京都渋谷区)で開催された。今回は、キリスト教学校の教職員を対象としたもので、約60人が参加。昨年に引き続き、髙木慶子氏(上智大学特任教授、同大学グリーフケア研究所所長、生と死を考える会全国協議会会長)が講師を務めた。
髙木氏は講演の冒頭、参加者の少なさを指摘し、「キリスト教学校の懇談会・講演会にこれだけの先生しか集まらないということが最も大きな問題」「校長や教頭、理事長先生方が各学校から2人でも5人でもいらっしゃったらここは満員になったと思う。それをなさらないというのが一番神さまがわたしたちに問いかけていらっしゃる現状だと思う」と苦言を呈した。
「東日本(大震災)が問いかけていることよりも、もっと日常的に問われていることを分からないといけないのではないか」と述べ、キリスト教学校でも教会でも本当のことを言う人が少なすぎると主張。イエス・キリストはいのちをかけて本当のことを伝えたとし、それがキリスト教学校の精神だと強調。「それを言わないで、誰からも『あの先生は良い先生』と言ってもらいたい。そんなキリスト教学校は恥ずかしい。お辞めになった方が良いと思う。そのくらいの覚悟なしには日本の社会の中でキリスト教は伸びることがない」と訴えた。
その上で、「キリスト教学校」とは「キリスト様のこころをもって教育に当たる学校」であるとし、「キリスト教的精神」という言葉で曖昧にするのではなく、「もしキリスト様が校長であったなら、教員であったら、どういうおこころで教育をなさったのだろうか。それがキリスト教学校観だと思う」と主張。キリスト教学校は、信仰によってのみ理解される価値を基礎に置いているのであり、「目に見えない神を見ているかのようなこころで教育をしなければならない」と語った。
さらに、「キリスト教学校は、洗礼を受けないとしても、『キリスト教の神を神として信じている集団なんだ』『そのような価値観でわたしたちは教えるんだ』『教員として職員としてそこに自分は場を持っているんだ』という確信なしには難しいと思う」と力説。「経営のためにキリスト教をお使いにならないでいただきたい」「キリスト教学校はあくまでもキリスト教の価値観を持ってのみキリスト教と言える。経営は経営として別個にお考えください」と熱心に語りかけた。
そして、キリスト教学校の卒業生の多くが、洗礼を受けていなくても社会でキリスト教的に生活していると述べ、「キリスト教学校が日本の社会をどれほど精神的に豊かにしているか」と、感謝と期待の言葉を述べた。
震災に関して、「なぜ、神はこのようなことをするのか?」という問いを持つことについては、悪いことが起こったら神の罰だと考える構造を、「神のレベルを人間のレベルに引き下ろすという愚かなことをしている結果」だとし、「神と人間を比べようとすることはナンセンス」と主張。「人間のレベルからすれば想像さえすることのできないほどの神だということを信じられるのは、神からの恵みによるもの」と述べ、これをキリスト教学校において一人ひとりの児童・生徒・学生に毎日の生活の中で説くのがキリスト教学校だと語った。
シンポジウムでは、パネリストとして、島名恭子(捜真女学院中学高等学校教諭)、伊藤悟(青山学院大学宗教部長)、土倉相(仙台白百合学園中学高等学校教諭)の3氏がそれぞれ「被災された方々と上手く関われない!~そんな時、生徒達がとった行動~」、「教育としての被災地支援」、「被災校が行ったボランティア」と題して、各校の取り組みを紹介した。
司会を務めた西原廉太氏(立教学院副院長、立教大学副総長)は、「3人の先生方に共通していたことは、それぞれの学校と被災地の教会とのつながりの中で教育活動、支援活動がなされているということ。そのあたりにキリスト教に基づくこれからの復興支援教育の可能性が見えてきたと思う」と総括した。
同懇談会は、キリスト教学校教育同盟(佐藤東洋士理事長=桜美林学園理事長・学長)と、日本カトリック学校連合会(河合恒男理事長=サレジオ学院理事長)が共同して組織・運営している。