礼拝は〝巻き込まれる〟出来事 説教塾25周年記念シンポにヘリット・イミンク氏 2012年12月25日
説教の共同研さんを行う説教塾(加藤常昭主宰)の25周年記念シンポジウムが11月20~23日、オランダの神学者、ヘリット・イミンク氏(ユトレヒト・プロテスタント神学大学学長)を招いて、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区)を会場に行われた。全国の諸教派から牧師、信徒、神学生を含む約120人が参加。最終日の23日には、キリスト品川教会(東京都品川区)に会場を移して公開講演会が開かれた。
今回のシンポジウムでは、「いま、イエス・キリストを説教するとは――説教の課題と方法」を主題とし、イミンク氏をメイン・スピーカーに迎えて対話を重ねながら、幅広い学びと交わりが展開された。とりわけ、このシンポジウムに合わせて訳出された同氏の著書『信仰論――実践神学再構築試論』(教文館)を手がかりに、多くの応答、発題がなされた。
22日にはイミンク氏の歓迎レセプションが行われ、同塾と関わりの深い日本FEBC、キリスト新聞社、日本キリスト教団出版局、教文館からの来賓を迎えて、塾生らと共に25周年の節目を祝った。
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「神の恵みの中で聴く説教」と題する講演(23日)でイミンク氏は、聴き手と語り手にとって、礼拝における説教がどのような出来事として理解できるかについて、神学的な立場から考察した。
説教を注意深く聴くという行為は、「心と知性を注ぎ込む活動」であり、聴き手は説教によって自分の生活を信仰的に見直す。同氏は「巻き込まれる」という言葉をたびたび用いながら、「礼拝の中に聖霊が臨在することで、わたしたちは生ける神のリアリティに出会う」と表現した。
また、「人間の日常生活のあらゆる局面に対して語りかける」という、礼拝のリタージーと説教が持つ可能性についても言及し、「礼拝は繰り返し参加することによって、少しずつ巻き込まれていくという出来事」と語った。
さらに、信仰の多様な側面として「知識」と「情緒」の関係性について述べ、「明瞭で矛盾がなく信用できる」説教が求められる一方で、礼拝においては説教者が予想もしない「感覚的」「感情的」な反応も起こりうることを説明。語られる言葉に力があるか否かを超えて、聖霊の臨在がインパクトを与えることがあるとし、「説教は私たちを助けて神に触れるようにさせ、神の恵み深さを見せ、神に信頼するようにさせるもの」と指摘した。
イミンク氏は今回邦訳された『信仰論』に続き、英訳中の『礼拝論』、執筆予定の『祈祷論』の3部作を計画しているという。
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説教塾は、東京神学大学で加藤氏から教えを受けた牧師らが、継続的に説教を学ぶグループを作ったのが始まり。毎年、定期的に開催される「説教者トレーニングセミナー」を中心に、さまざまな教派に属する牧師らが各地の例会で学びを深めている。『信仰論』の翻訳を担い、長年、指導的立場で同塾を牽引してきた加藤氏は、今回のシンポジウムにおいて、最終日の礼拝説教以外でメイン・スピーカーとなることを辞し、今後は後身の育成に専念していく姿勢を明らかにした。