【映画】「東ベルリンから来た女」 東西冷戦時代 死にゆく体制化での愛 2013年2月2日

 ベルリンの壁崩壊前の1980年。バルト海沿岸の田舎町の病院に一人の女医がやって来た。彼女の名前はバルバラ(ニーナ・ホス)。東ベルリンの大病院に勤務していたが、西ドイツ移住の申請が却下されて左遷されてきた。秘密警察の監視つきで。 

 誰もがスパイかもと疑念を投げかけられても仕方のない時代である。バルバラは、新しい病院の同僚から寄せられる優しさにも、秘密警察の密告ではないかと猜疑心がぬぐえない。心のよりどころを失った彼女にとっての生きがいは、医師としての信念だ。患者に注ぐ無償の献身こそが、今にも崩れ落ちそうな心の支えとなっている。

 東西ドイツが統一されて今年で23年。ベルリンの壁が崩れるまで、東ドイツでは何が起こっていたのか、一党独裁の恐怖政治の真相を知る人はそう多くはないだろう。 

 厳しい監視の眼を盗んで西ドイツへの逃亡を画策するヒロインの葛藤の末の決断に息を呑む。

 サスペンス映画さながらの緊迫感を途切れることなく描ききった。監督はクリスティアン・ペッツォルト。東西冷戦時代を背景にした旧東ドイツという設定で制作したいきさつを次のように語る。「1980年の夏に東ドイツへ行った。そのとき感じたのは、この国はもう生き残る力がない、死んでしまうだろうということだった。」 

 「死にゆく、消えゆく体制のなかで生きる人々が、どうやって生き残るのか、そのためにどんな戦略を持っているのか、非常に関心があった。救命ボートをどうやって作るのだろうか。残された残骸の中から、何を材料にするのだろうか、というようなことを考えていた。」

「東ドイツが崩壊したのは、ちょうど西側でロナルド・レーガン、マーガレット・サッチャーを始めとするネオリベラズムが台頭し、金融界が力を持ち始めた時期だというのは興味深い。そのとき、つまり1980年前後に、世界で何かが起きていたということだ。わたしの関心は、愛とか恋人同士とか、常に人間にあった。彼らの感情や、そこでどうやって生き残るのか、といったことに注目した。」

 本作のラストシーンに使われたCHICの「at last I am Free」。これを選曲した理由にも、監督の明確な意図があるようだ。

 「あの曲はCHICが1975年にディスコ音楽として作ったat last I’m Free だ。踊れる曲、素敵な曲で、愛と政治をテーマにしている。at last I’m freeは、黒人の公民権運動がテーマであると同時に、『ようやくお前から自由になれた』と歌う女性が中心になっている。わたしはようやくお前から解放された。今まで騙していたじゃないか。でも、その自由はさびしくて、辛いと歌うのです。これを政治に置き換えることができる。」

「ようやく自由になった。革命を実現した。でも今はとてもさびしい。親から離れることは辛い。体制を転覆することは辛い。なぜならその後に続くのは幸福ではなくて、寂しさと悲しさなのだから…」

「しかし1970年代末になると、アメリカではディスコに対する嫌悪が広がり、野球の試合に来るときにディスコ音楽のレコードなどを持ってこさせて、一斉に焼いてしまうというようなことが起きた。ナチスの焚書のようなものだ。それで作曲者たちはものすごくショックを受けた。ディスコ音楽は当然、黒人の音楽で、ホモセクシュアルの音楽であり、白人はこれらを憎んでいたわけだ。それで二人は、at last I’m freeの新しいバージョンを作曲した。それを本作のエンディングに使った。ゴスペルのように素朴で、美しく、シンプルに自由とは何かをはっきりと表現している。曲の最後にはいつも涙が溢れてくる。愛と自由は互いに関係しあっていることが歌われている。」

Bunkamuraル・シネマ、川崎チネチッタ他にて全国順次ロードショー

©SCHRAMM FILM/ZDF/ARTE2012

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