日本クリスチャン・アカデミー関東 『牧師とは何か』問う 「日本キリスト教団出版局」の書籍めぐり対話 2013年9月28日
小友聡氏「日本の牧師、これでよいか」
根田祥一氏「同労者として分かち合う」
日本クリスチャン・アカデミー関東活動センター(戒能信生運営委員長)は、パネル・ディスカッション「『牧師とは何か』を問う」を9月9日、日本キリスト教会館(東京都新宿区)で開催した。牧師や信徒など50人以上が参加した。
この催しは、「日本キリスト教団出版局」が4月に刊行した『牧師とは何か』=写真右=をめぐり企画された。同書は18人の牧師・神学者が「現代日本社会において、牧師の職務とは何か」を論じたもの。
同書の監修者の1人、松本敏之氏(日基教団経堂緑岡教会牧師)が司会、小友聡(日基教団中村町教会牧師、東京神学大学教授)、根田祥一(日本ホーリネス教団東京聖書学院教会信徒、クリスチャン新聞編集長)、笹森田鶴(日本聖公会聖アンデレ教会牧師)の3氏が、それぞれの視点から同書をどのように読んだのかを語った。同書監修者のもう1人、越川弘英氏(同志社大学キリスト教文化センター教員)も発言した。
初めに戒能氏があいさつし、「現在の日本のキリスト教会の状況は、各教派の教勢の停滞、下降という形で、極めて深刻な事態」と指摘。教会の姿勢が内向きになり、1970~80年代に見られた教派を超えた討論や対話が活発ではなくなったと印象を述べた上で、同書を通してそうした対話と交流を行うことを、今回の催しの趣旨として掲げた。
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小友氏は同書について、「日本の教会の牧師の実像がそのまま描かれている本」「神学校で教科書として用いられればよい」と評価。さらに、同書を通じて共感を持ち、励ましと慰めが与えられたと述べ、「日基教団の牧師全員に読んでもらいたい」「現場の教会の多様性が理解できる」と強調した。
一方で、「この本を信徒の方々が読んだ場合、どのような感想を持つだろうか」と問い、「おそらく『牧師先生方はさすがだ』『苦労しながらよく考え、学び、仕事をしておられる』という感想が出てくるだろう」と指摘。「これだけ牧師たちが頑張り、なすべきことを知りつくしていながら、なぜ日本の教会はうまくいかないのだろうか」と疑問を投げかけた。そして、教会が疲弊していく理由を信徒や時代の責任にしてはいないかと問いかけ、「日本の牧師は本当にこれでよいのだろうか。大きな問題がそこにあるのではないか。大事な問題からわれわれ牧師は目を背けているのではないだろうか」と問題提起した。
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根田氏は、同書の目次の分類項目について、「問題の立て方がおとなしい。静的な印象を受けた」と主張。「牧師の働きとは動的な視点からでしか捉えきれないのではないか。牧師の仕事は学者と違って、関係性の中でしか叙述できない類のものではないか」と指摘した。
また、取材者としての立場から「教会のカルト化」が多発していることに危機感を示し、「リーダーシップが健全に機能しないで歪んでしまっている」と強調。牧師の「孤軍奮闘」と、会衆との「コミュニケーション不全」の関連を指摘し、「信徒が牧師に理想的な信仰者像を投影して過剰な期待をしているのではないか」と意見を述べた。
その上で、「分かち合う者としての牧師」という視点に注目することを提言。「『同労者』としての信徒・牧師像の再発見」を鍵として提示し、「イエスが立てた『エクレシア』という共同性の中で、その同労者である牧師仲間・信徒とともにリーダーとして歩む、分かち合いの模範を示す、ということを通して牧会者たり得るという面があるのではないか」と語った。
(左から)松本、笹森、根田、小友の各氏
笹森田鶴氏「教会の使命果たす奉仕職」
松本敏之氏「牧師も人間。完璧でない」
笹森氏は、同書の感想として、「続けて読むと、息ができなくなるくらい切ない気持ちになってきた。なぜならば、とてもこんな職務はわたしにはできないと、白状しなければならないから」と告白。日本聖公会の三聖職位(主教、司祭、執事)の職務に言及し、「違う働きや機能を持った者が同労者として存在するということが、常に職務の分担が可能であるということ」と紹介した。
自身の司祭定年までの残り20年間について、「いろいろなものを手放したり、そぎ落としていかなければ、その職務を継続することはできないだろう。そうしたとしても、自分が司祭として、教会の牧師の職務に就き続けることを可能にすることは何だろうか」と自問。牧師とは、「信徒とともに教会の使命を果たすための奉仕職」だとし、そのために、天上の世界と地上の世界をつなぎ、歴史のただ中にある教会において、「祈りの人であること」「人とともにあること」であると語った。
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松本氏は、同書の意義について、「複数の執筆者・監修者がいて、対話しながら共同作業で作っていくという牧師論」と述べ、「これから牧師になろうとする人や、牧師になって間もない人にこそ、ぜひ読んでもらいたい」と訴えた。
また、「牧会者としての牧師」の項目を執筆した立場から話し、文中の、「あいまいさに耐える」「無力さに耐える」という言葉について、「牧師も人間だということを正直に認めるということ。完璧なことはできない。牧師も雇い人だということを自分で受けとめることによって、逆に自然体でできるのではないか」と語った。
課題として、教職制度を持たない「プロテスタント教会」との対話や、牧師を経済的に支えきれない教会が増える中、教団全体でどう取り組むか、という点を挙げた。
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参加した信徒からは、「牧師が信徒の生活を理解していない」「社会で人々がどんな思いでどんな風に働いているのか、牧師にもっと知ってもらう機会はないのか」といった意見も相次いだ。
越川氏は同書について、「できあがった段階で過去のものになっていると考えた方がよい」と述べ、「30代の牧師や、これから牧師になっていこうとする方がこれを読んだら、違う形の違和感があるだろう」と述べた。
また編集の段階で気付いた点として、「信徒論とタイアップさせないと意味がないだろう。信徒論、キリスト者論をきちんと作った上で、牧師論を作っていかないといけない」とし、「年年歳歳、新しく牧師とは何ぞや、教会とは何ぞやと、常に問われていくのがわたしたちの現状」と語った。