明治の日本取材し西洋へ伝える ラフカディオ・ハーン没後110年 2014年5月3日
1890年に来日し、小泉八雲と改名して『怪談』などを著したラフカディオ・ハーン(1850~1904)。今年はその没後110年にあたる。ハーンは近代化していく明治の日本をどのように見ていたのか。熊本八雲会会長の西川盛雄氏(熊本大学名誉教授・客員教授)が「ラフカディオ・ハーンのみた日本という形」と題して4月12日、立教大学(東京都豊島区)で講演した。
ハーンはギリシャ出身。幼少期に両親の離婚を経験し、イングランドのカトリック神学校に入学した。キリスト教に対してハーンが厳しい見方をする理由として西川氏は、「父なるものへの懐疑、反感のようなものが付きまとっていた。同時に厳格なカトリックの授業についていけないことから、〝最後まで帰らなかった放蕩息子〟のようになってしまった。その代わり、〝異教徒〟と言われるものに関わっていく」と解説。
米国で20年間ジャーナリストとして活躍したハーンは40歳の時に日本に派遣され、日本で取材したものを欧米に送るようになる。「彼は西洋に生まれ育ったが、西洋を背景にして非西洋と言われているものを前に置いて取材し、それを西洋にフィードバックした。西洋と日本の橋渡しをしていた」と意見を述べた。
終戦直後にマッカーサーの副官として来日したボナー・フェラーズはハーンの愛読者として知られている。学生時代に渡辺(一色)ゆりと出会い、「日本について知りたい」というフェラーズに、ゆりがハーンの著作を紹介したという。
「ハーンは天皇についてどのように考えていたのか」というミラ・ゾンターク氏(立教大学文学部キリスト教学科准教授)の質問に対し西川氏は、ハーンの作品中に天皇への言及が見当たらないことから、「天皇は国とつながる。ところがハーンの場合は自分が背負うべき国を持っていない」と説明した。
司会の吉馴明子氏(恵泉女学園大学名誉教授、「天皇制とキリスト教」研究会代表)は、「フェラーズはハーンを通して、日本の庶民が持っている天皇や、村=国の秩序についての感覚を理解し得たのではないかと思う」と本紙に感想を述べた。
同講演は、立教大学大学院キリスト教学研究科と、「天皇制とキリスト教」研究会の共催。両者の共催は今回が2回目。