「被害者への謝罪と和解」の継承 第20回を迎える英連邦戦没捕虜追悼礼拝 2014年7月19日
英連邦戦死者墓地(横浜市保土ヶ谷区)で毎年8月の第1土曜に行われている英連邦戦没捕虜追悼礼拝が今年で20回目を迎えるにあたり、雨宮剛氏(青山学院大学名誉教授・79歳)が「呼びかけ人」としての役目を今年を最後に終え、次世代にこの働きを継承することになった。
同追悼礼拝は1995年、戦後50年を機に、故永瀬隆氏(元陸軍通訳・青山学院OB)、故斎藤和明氏(国際基督教大学名誉教授)、雨宮氏の提唱により始められた。
第2次世界大戦で日本は多くの国々と国民の生命を恐怖と欠乏の中に陥れ、現地での強制重労働の後日本に移送された捕虜の処遇は苛酷で、多くの者が命を落とした。同墓地には1873人の墓がある。それらの犠牲者の家族、身近な人々の日本軍に対する怨念の深さは計り知れず、憎しみの消えない犠牲者と日本人の和解の機会が与えられることを願っての同追悼礼拝で、関係諸国大使館の関心も高まり代表が参加している。
雨宮氏は日本の戦争責任を学ぶ過程で故永瀬氏とその著書に出会い、無知という罪から自分が解放されたと言う。永瀬氏から同追悼礼拝の手伝いを依頼された時には何の異存もなかった。雨宮氏は個人の体験として、「オックスフォード大学での夏季講座の受講の学生時、出会った婦人の無愛想な対応の訳が、戦時中の日本軍が英連邦の捕虜たちにしたことによると知り、自らの無知を大いに恥じた」と語り、人生を変える経験として「高校2年時の国際キリスト教ワークキャンプで来日したフィリピン教会代表から、多くの肉親や親戚が日本軍に虐殺されたことを聞き、日本人は加害者であったことを知り、書いた『謝罪と赦しと和解』の手紙がフィリピンの某紙に掲載され、読者からの好意的な手紙が山のように来て深い感動に包まれたこと」と話す。
次世代への継承について「始めた時は何回するとか決めてなく、皆さんの反応が良く続けることになった。若い人々には重荷になるかも知れないが、継続を考えると今年が最後の役目」と話す。今年の同追悼礼拝は8月2日(土)午前11時から。問合せは、主催「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」実行委員会、代表・奥津隆雄(電04・2959・7567)