〝支援と宣教は分けられない〟 東日本大震災から4年を前にシンポ 2018年3月7日
東日本大震災から間もなく4年。「3・11震災から考える支援と宣教」と題するシンポジウムが2月21日、お茶の水クリスチャン・センター(東京千代田区)で開かれた(災害救援キリスト者連絡会=DRCnet=主催、3・11いわて教会ネットワーク、NPO法人Sola、いのちのことば社、日本福音同盟=JEA=宣教委員会・援助協力委員会、第6回日本伝道会議実行委員会、日本ローザンヌ委員会後援)。
パネリストに佐々木真輝(北上聖書バプテスト教会牧師、3・11いわて教会ネットワーク事務局長)、米内宏明(国分寺バプテスト教会牧師、NPO法人Sola代表)の両氏を招き、被災地支援の経験から、教会と地域の間にある「境界線」をどう乗り越えるか、支援と宣教のあり方を捉え直す必要性について議論した。
両氏はいずれも「いのちのことば社3・11ブックレット」として『「境界」その先へ――支援の現場で見えて来たこと』(佐々木)、『見上げた空――「被災地」から見える教会の姿』(米内)を刊行している。
コーディネーターを務めた根田祥一氏(元クリスチャン新聞編集長)は、「これまで日本のキリスト教会(特に福音派)が捉えてきた『伝道』『宣教』のあり方が根本から問い直されている」と呼びかけていた。
佐々木氏は、震災から4年を経た岩手の被災状況について報告した上で、直接的な被害を受けなかった者と被災者との間の「境界線」、地域にある教会が自分で描いていた「境界線」を越え始めた震災後の動きを紹介した。
自身が属する保守バプテスト同盟の伝統では、伝道こそが教会の務めであり、社会的活動は自由主義者の活動だという一定の「境界線」を引いてきたという。
「災害によって『境界線』が揺るがされることで、彼岸と此岸をつなぐ交流が生まれ、教派を超えた連携をする中で、共通の福音の核心を再発見できた」
震災までは支援と宣教を分ける考え方をしていたが、支援活動を継続するためには、牧師の外部奉仕ではなく、教会の働きとして受け止めてもらう必要があると痛感。「教勢に益しない働きにお金と時間を使うことは難しい」が、短絡的に結び付けることで、実際に被災地でひんしゅくを買った支援活動もあったという。
支援と宣教を分けないために、「特別な専門性を持っているわけではない1人のクリスチャンとして、被災者と共に居続けることを重視した」と同氏。「支援は伝道の道具ではなく、生き方の問題。災害支援には専門性が必要だという思い込みがあったが、教会が支援団体の手伝いをするのではなく、支援団体からの協力を仰ぎながら地域にある教会こそが主体とならなければならないと思い直すようになった」と語った。
米内氏も、被災地の現場で「支援と宣教は分けられない」と実感し、福音理解そのものを問う必要性を感じたという。ある認定NPO法人の代表から「なぜ教会さんはしないのか?」と問われた経験から、「教会員が描く『あるべき教会像』と教会外から見られているイメージとの違いを、その正否にかかわらず受け止め直すことが今後必要になってくるのではないか」と提起。
「(代表を務めるNPO法人に)教会を建てることを勧められたこともあるが、教会形成の目的は何か、キリストと共に暮らすということをどう表現するかを提示することの方が先決ではないかと考えた」
教会教育における学ぶ力の重要性についても言及し、「教会は、値札のないものの価値を見極められる力が提供できるはず。受け売りの教育ではない、先駆的に知ろうとする学ぶ力を養っていく必要があるのではないか」と訴えた。
2人の発題と討論を受け、参加者がそれぞれの立場から意見を交わした。
写真(左から)コーディネーターの根田氏とパネリストの米内氏、佐々木氏