戦後70年企画連続インタビュー ■1■ 島薗 進氏(宗教学者) 宗教は「人間の安全保障」の基礎 2015年8月1日

 本紙創刊から7年目の1953年に掲げられた本紙標語「平和憲法を護れ」「再軍備絶対反対」は、その後も変わることなく題字と共に掲載されてきた。当時の社説(53年9月19日付)によれば、憲法草案者の金森徳次郎までが改憲の必要を口にしたことに危惧を覚えた賀川豊彦が提案し、主筆の武藤富男が「次の号からやりましょう」と即答して8月15日付からの掲載が決まったという。

 この間、その折々にさまざまな賛否両論が戦わされてきた。「標語を外せば経済的な支援をする」という類の申し出も一度ではなかった。戦後の安全保障をめぐり大きな転換点を迎えた70年目の日本。この国と教会の行方を識者に問いつつ、キリスト教ジャーナリズムのあり方を読者と共に模索したい。初回はネット上でも精力的に発信し続ける島薗進氏。

戦前回帰と向き合う視点を反省

――戦後70年を振り返って思うことは?

島薗 1948年生まれなので、戦後の70年はほぼわたしの人生とも重なります。戦後世代として、基本的人権の尊重や権威主義的な集団のあり方に対する反発を当然のように身につけてきたわけですが、なぜそうでなければならないのか、日本社会の共通の理解として示していく根拠づけが十分ではなかったのではないでしょうか。近代日本の精神史の中で、宗教や日本国憲法の持つ意味について総合的にとらえる視点が弱かったという反省です。

 宗教界の戦争協力への反省は貴重で意義あるものだと思いますが、明治維新からの流れを大局に見て、天皇崇敬を基軸とする国家主義的な社会への屈服についての自覚が、とりわけ仏教界において弱かった。もちろん国家神道の復興を警戒する気持ちはありましたが、小泉純一郎首相の時代から、穏健で良識的な保守層がこれほど急速に瓦解していくとは思っていませんでした。

 わたし自身、近代合理主義の果てに生じてしまう精神的空白に対して、宗教的伝統をふまえ何ができるかという問題意識を持ち、西洋のキリスト教を土台に形成されてきた普遍主義や個人的な自立、アイデンティティのあり方を意識しながら、宗教的自覚を探ろうとしたのですが、今になって思えば、日本社会の戦前回帰など危うい兆候と向き合う視点が弱かったのではないかと思います。

 世界的に台頭してきた政治・宗教的強硬派(イスラム主義、アメリカのキリスト教右派、インドのヒンドゥーナショナリズムなど)が、東アジアにおいてはどう表出するのかという問題意識もありましたが、それを東アジアの学者たちが相互に自覚し合い、政治的にも文化的にも友好を発展させていくことが必要だったのかもしれません。

――本紙が「平和憲法を護れ」「再軍備絶対反対」という標語を掲げ続けてきたことについて。

島薗 占領後の日本において、軍国主義に対する反省という文脈で「初心を忘れまい」という意欲を示したものとしては理解できますが、冷戦を経てアメリカの世界戦略の中で生きてきた日本のあり方とどう噛み合うのかという点では、説明が求められるのではないかと思います。

 平和憲法はアメリカの軍事力とセットで機能してきたという側面があります。国際社会、とりわけアジアの中での日本ということをとらえる上で、アメリカの傘のもとにあることの功罪をとらえると共に、韓国、中国、東南アジアとの関係性においてどんな意味を持ったのかを省みるべきだと思います。

 歴史認識をめぐり今日のようなお粗末な状況になっているという意味では、戦後の日本も決して平和ではなかった、戦前とは違う形で軍事的環境の中に生き延びてきたと言えるのかもしれません。

 世界宗教者平和会議(WCRP)に象徴されるように、日本には早くから宗教協力に基づく平和運動を行ってきた歴史があります。アジア諸国との相互交流をふまえた平和主義とは何かということが、改めて問われているのだと思います。

精神文化的空白に宗教の創造性

――今後の宗教界、宗教学のあり方について提言をいただけますか?

島薗 宗教こそが社会の重要な課題について、人の生き方という次元で、継承すべき伝統と、蓄積されてきた経験に基づいて発言することができると思っています。

 宗教者同士が対話を重ね、宗教を持たないセクターとも連携しながら現実の課題に取り組んでいく必要性は、東日本大震災の被災支援でも明らかになっていますし、生命倫理や地球環境のような問題でもますます重要になってきます。

 「記憶の共同体」として充実していくことと、多元的な広い公共空間に有効な視座を提示することは両立できるはずです。社会は精神文化的な空白に苦しんでいます。しかし、特定の伝統にコミットできる人は少ないというギャップをどう埋めるのか。

 もう一つは、産業がグローバルに肥大化し、強大な国家や組織、金と組織で動く領域が強大になり、いのちの感覚、経験、実践から遠ざかるという現象があります。宗教は一次産業や医療と並んで「いのち」に近い。地域社会における社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)としての宗教の意義、生活実践に即した創造性が見直されてくる。それが、軍事力によらない「人間の安全保障」の基礎にもなると思っています。

――ありがとうございました。(聞き手 松谷信司)

 しまぞの・すすむ 1948年東京生まれ。東京大学文学部・大学院人文社会系研究科宗教学・宗教史学研究室教授を経て、2013年から上智大学教授、同大グリーフケア研究所所長。専門は近代日本宗教史、死生学。著書は『精神世界のゆくえ』『〈癒す知〉の系譜』『スピリチュアリティの興隆』『宗教学の名著30』『国家神道と日本人』ほか多数。

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