戦後70年企画連続インタビュー■2■ 坂内宗男氏(キリスト者政治連盟委員長) 日本人は何も変わっていなかった 2015年8月15日
本紙創刊から7年目の1953年に掲げられた本紙標語「平和憲法を護れ」「再軍備絶対反対」は、その後も変わることなく題字と共に掲載されてきた。戦後の安全保障をめぐり大きな転換点を迎えた70年目の日本。この国と教会の行方を識者に問いつつ、キリスト教ジャーナリズムのあり方を読者と共に模索する。2回目は、長年キリスト者議員の輩出を目標に掲げてきたキリスト者政治連盟の坂内宗男氏。
お詫びすべき相手はアジア諸国
――戦後70年という節目にあたって思うことを。
坂内 70年前、日本はこれまでにない未曾有の打撃を受けて敗戦し、アメリカによる占領と新しい憲法による歩みが始まりました。今の政府は「押し付け」だと言いながら、実際にはアメリカに追従しているわけで矛盾しています。現憲法制定の背景には、鈴木安蔵ら民間のグループによる憲法草案があり、それも参考にしたと言われています。
わたしたちクリスチャンにとっては、イザヤやエレミヤの預言が、まさに日本国憲法によって成就したという意味で、神から与えられた恩恵だと考えることもできます。イエスは絶対平和主義者です。しかし、「棚からぼた餅」式に「平和」を得たという面では、日本は本当に変わったのか。わたしは、戦前と戦後でその底流にあるものはまったく変わらず、そこに今日の急速な右傾化があると考えています。
あの敗戦時、アジア諸国に侵攻して2千万人以上もの人々を殺したことに対する謝罪が一つもなく、皇居に向かって土下座して謝った。大日本帝国憲法のもと、みんな天皇の名のもとに戦ったじゃないですか。外国から見れば、天皇は戦争の最高責任者ですよ。わたしたちは戦争に駆り立てられ、肉親を殺され、祖国も荒廃したのに、なぜお詫びをしなければならなかったのか。お詫びをすべき相手はアジア諸国ではないのか。そこが、わたしの原点です。
そして右派陣営は、1950年の朝鮮戦争時から憲法改正のために着々と準備をしてきたのに、左派は対立と分裂を繰り返してきた。このような状況下で、キリスト者政治連盟は、1974年12月に結成の呼びかけをして、1月20日に社会文化会館で総会を開きました。ちょうど靖国国営化の動きが出てきて間もなくのころです。キリスト者として公の場で社会的発言をすると同時に、国や地方議会にもっとクリスチャンを送ることが政治の浄化につながるという発想があったんです。
わたしも自分で日曜集会を行っています。説教で政治の話をするわけではありませんが、ただその時々の状況に結び付かなければ、教会とこの世は別だという二元論になってしまいます。だから教会に来る人は、聖書の話を聞いて、「ありがたや」で終わっちゃうわけですよ。イエスの言う「地の塩として生きよ」というのはそういうことではないでしょう。
――本紙の標語「平和憲法を護れ」「再軍備絶対反対」について。
坂内 僕は学生の時から、本紙を購読しているんです。経緯はいろいろあるにしても、この新聞は賀川豊彦と武藤富男が始めたことに変わりはない。わたしたちキリスト者政治連盟の標語「伝道の推進」「政治の浄化」も、同じ精神に立って決めたんです。私たちの立場はまさに文字どおり、「再軍備絶対反対」です。このスローガンは、わたしたちにとっては一つのシンボルだと思います。イエスの言葉がこの世に実現することを願い、祈るならば、武力で平和は実現できません。
こういう時世だからこそ、逆に新鮮です。冷戦が終わって、グローバル化の時代になり平和が訪れると思っていたら、予想に反して今度は民族間の争い、地域紛争が噴出し、相変わらず殺し合いをしてきた。その中で、日本は海外で戦争を一度もしていないじゃないですか。それは憲法があったからですよ。
「敵が攻めてきたら」という議論ではなく、「攻めてこない地作りをする」ということが大切です。政治の世界では利害関係がありますが、民間人同士は1対1で顔を合わせ、お互いが信頼しあうことができます。そこに希望がある。もっと広い目で見るステーツマンであるべきです。
先の「日本を愛するキリスト者の会」の全面広告(本紙掲載)をめぐる論争を見ても、互いに言い訳を書いているだけ。この標語を掲げた社として、一報道機関として創刊の精神に立った節操を求めたい。討論は大いにやればいいと思いますが。
どんな考えの違いがあっても一緒に
――今後の教会のあり方についてご提言を。
坂内 日本のクリスチャンは人口の1%未満で少ないと言っても、100万人以上いるわけですから、その人々が本当に目の色を変えれば世の中は変わると思いませんか? 変わらないのは、クリスチャン以上に日本(天皇)教という普通の日本人と同じ精神構造があるからだと思うのです。
特に日本キリスト教協議会(NCC)の働きは問われています。この大事な時代にどんな発言をすべきなのか。果たして将来、歴史の審判に耐え得るのか。
現実的には主力ともいうべき日本基督教団の「紛争」以降、左だ右だと喧嘩をしてきました。でも、ただ相手を追及するより、どんな考えの違いがあっても一緒にやっていくというのがエキュメニカルであり、私たちのモットーです。政治の世界でも、さまざまな党と協力してきました。今後もあらゆる対話と協働の可能性を模索していきたいと思います。
――ありがとうございました。(聞き手 松谷信司)
ばんない・むねお 1934年生まれ。法大法科卒。東京都下の公務員で主に福祉の分野で働く。96年から無教会キリスト教学生寮登戸学寮寮長として聖書の学びを担当。現日本キリスト教協議会靖国神社問題委員長。東中野聖書集会主宰、合わせて渋谷(旧高橋三郎)聖書集会に関わる。