迫害と離散の歴史描く 映画『消えた声が、その名を呼ぶ』 2015年12月25日
1915年4月、斜陽のイスラム覇権国であったオスマン政府により、トルコ東部アナトリア地方ではキリスト教徒アルメニア人に対するジェノサイド(民族・集団消滅を目的とする大虐殺)が始まった。この虐殺による犠牲者数は100万人とも150万人ともされるが、現トルコ政府はこの事実をいまだ公式に認めていない。
映画『消えた声が、その名を呼ぶ』は、この事件によって唐突に妻や双子の娘たちから引き離されたアルメニア人男性、ナザレットが主人公だ。
現代にも通じるディアスポラ
「イスラムへ改宗すれば解放しよう。改宗する者は前へ出よ」
荒野の強制収容所でオスマン兵士がそう宣告する場面がある。キリスト教徒であるアルメニア人虜囚たちの間に動揺が走る。背に仲間の罵声を浴びつつ歩みでる者、踏み出しかけた足を戻す者。運命の選択がなされる印象的な場面だ。そこで踏みとどまったナザレットら虜囚たちは、人目につかない僻地へと連行されると、順次処刑されてしまう。しかし殺害を命じられた兵士の躊躇により、ナザレットだけは辛くも生き延びる。
この時、首へ受けた傷によりナザレットは声を失い、ようやく探し当てた親族から家族の死を聞かされると、生きる気力をも失くしてしまう。その後、彼は逃亡先アレッポの石鹸工場で、一労務者として抜け殻のように淡々と日々を暮らし始める。この日々の中で立ち寄った映写会場でかかるチャップリン『キッド』に来し方を重ね号泣するのだが、そこに至る過程で映し出されるアレッポの町並みが極めて美しい。古い石積みの石鹸工場で人々の働く光景の質実さ共々、こうした映像感覚もまたこの映画を単なる告発作品ではない傑作へと引き上げている。
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アルメニア人のキリスト教=アルメニア使徒教会は、一般に「正教」と呼ばれることからギリシア~ロシア正教の括りでとらえられがちだが、実は系統がまったく異なり、その歴史は非常に古い。古代アルメニア王国がキリスト教を国教としたのは西暦301年で、これはローマ帝国によるキリスト教公認のミラノ勅令313年に先んじる。
以来、アルメニア人は西にローマやビサンツ、東にペルシャやイスラム諸王朝、北にモンゴルやロシアと大国の狭間にあって常に苦難と迫害に晒され続けるが、その長い信仰の伝統による結びつきは受難をむしろ糧として、離散した新天地にあっても彼らをより強く結束させた。
映画の中で主人公ナザレットは、レバノンの町アレッポで娘たちの生存を偶然に知ると、持てる全財産を投じて蒸気船へ乗り込み、彼女たちが住むというキューバの移民街へと旅立つ。しかし、ハバナのアルメニア人街に着いてみれば、双子の娘はすでに北米へ移住したと知らされる。古代より続く迫害と離散の歴史により、ユダヤ人同様アルメニア人もまた世界中へ散り散りとなったが、このディアスポラ(離散定住)の現状も、本作はこうして巧く取り入れている。
人を己の生に結びつけるもの
本作を撮ったのは、新進気鋭の呼び声も高いドイツ在住のトルコ系監督ファティ・アキン。トルコ移民二世の監督が、トルコではなおタブー視されるこの事件を扱ったことの意味は大きい。仮に在外の日本人監督が、南京事件をめぐり被害者視点から映画を撮ったと想像すれば、その後に起こる事態も了解されよう。本国トルコの世論では本作への批判は厳しく、虚偽だ、アルメニア人ロビーから裏で資金供与を受けている、など激しいバッシングを浴びるに至った。
しかし、ファティ・アキン監督による過去作の系譜を少したどるなら、本作の意図が虐殺自体の告発にはないことがよくわかる。彼が過去の代表作『太陽に恋して』『愛より強く』『そして、私たちは愛に帰る』などを通して繰り返し表現してきたのは、魂の孤立を厳しく迫られる現代物質文明の荒波の中、人間を己の生に結びつけるものは何かという鋭い問いかけだ。
そして彼は、彼自身のルーツにも由来し主題としてきた〝ドイツのトルコ移民〟問題から近年離脱する。たとえば12年公開のドキュメンタリー作品『トラブゾン狂騒曲』では、トルコ東部の古都トラブゾン近郊のある村で起きたゴミ騒動をテーマとした。大虐殺以前のトラブゾンは長らくアルメニア人の集住地域で、トルコ人の住む今日でもアンカラの中央政府からは看過されがちな一帯だ。
つまり監督は過去作から最近作まで一貫して、世の主流からは目を背けられるマイノリティの過酷な環境こそを、「人を生に結びつけるものは何か」を問う場としてきたことになる。
人を生に結びつけるものとは何か。ファティ・アキン監督作に込められたその答えを言葉にするなら端的に、「愛」となる。信仰が集団を束ね、愛が個を結びつける。しかしアルメニア人全体の実に過半が失命したとも言われるジェノサイドを背景とするこの一編が描く愛の形は、「愛こそすべて」といったクリシェにはとても収まり切らない、執拗で熾烈で底の知れない深さを湛えている。
たとえば、内戦状態に陥った2015年現在のシリアを爆撃するロシア機が、トルコ領空でトルコ軍に撃ち落とされる。トルコ領とはいえ、その多くはかつてロシアのコサック騎兵が疾駆した土地であり、オスマン政府に雇われたクルド兵が苦闘した土地であり、また古よりアルメニア文化の花開いた土地であったことを思う時、降り落ちてうず高く堆積した時間の厚みの下で、なお複雑化をやめない悲劇の様相に言葉を失う。
愛は人を幸福へと導くが、同時に愛こそは憎しみの源泉ともなる。時間が物事を真に解決することはあるのだろうか。
原題は、ナザレットが首に受けた傷をはじめ多くの印象的な場面を含意する〝The CUT〟(切断)だ。(ライター 藤本徹)
12月26日、角川シネマ有楽町、エビス・ガーデン・シネマほか、全国順次ロードショー。
©Gordon Muhle/ bombero international