【映画評】 『大地を受け継ぐ』 残された家族の静かな警告 2016年2月20日
3月には「5年目」を迎える福島。第一原発が事故を起こした直後、約65㌔離れた須賀川市で、農業を営む一人の男性が静かに命を絶った。「農家を継ぐよう勧めたのは、間違っていたかもしれない」との言葉を息子に遺して。農作物出荷停止の知らせが届いたばかりだった。
2015年、東京の学生たち11人が訪れたのは、残された息子の樽川和也さんと母・美津代さん。農地が放射能で汚染されてもなお、父の死を無駄にできない、代々受け継がれた土地を荒らしたくないとの思いで、ひたすら土を耕し、農作物を作り続けてきた。その背後には、出荷して「売れなかった」という実績がなければ東京電力は賠償をしないという理不尽さもあった。
検査で国の基準をクリアした農作物は出荷できるようになったが、「自分でも食べたくないと思うような作物を出荷していたという、生産者としての罪の意識はずっとあった」と振り返る。
カメラは、時に声をつまらせながら、朴訥と語る2人の証言を、延々と余すところなく映し出す。努めて感情を抑え、言葉を紡ぎ出そうとする和也さんの表情と折々の沈黙から、これまでの不安、苦悩、悲しみ、悔恨、怒りがわきあふれ、その場の学生らと共に聴き入る。
引率をしたのは、樽川さんを含め福島県全市町村と隣接県の4千人が原告に加わった「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟で弁護団の事務局長を務める馬奈木厳太郎さん。国と東京電力の責任を明らかにし、原状回復・被害の全体救済・脱原発を目的に掲げる。
「完全にコントロールされている」「原発事故による死者はいない」と妄言を吐く政治家。「人が作ったものは必ず壊れる。自然の力に勝てるはずがない」と常々口にしていたという父。「あまりに無知過ぎた。原発ができるときは他人事だった」と悔いる母。「これは風評じゃない、現実だ」と訴える息子。
どれほどの月日を重ねても、震災と原発事故による傷が癒されることはない。どれほど文明が発展しようとも、世の不条理と人類の罪が消えることはない。被災地から発せられた小さな警告から、私たちが受け継ぐべきものは何だろうか。
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