「道徳」包含する宗教教育を 〝特別の教科〟化めぐり玉川聖学院で「教会セミナー」 2016年2月6日
2014年の中央教育審議会の答申を受けて、文部科学省は昨年、学習指導要領を一部改定し、小学校で18年度から、中学校で19年度から「道徳の時間」を「特別の教科 道徳」に格上げすることを決定した。15年度から移行措置が始まり、道徳教育用教材「心のノート」を全面改訂した「私たちの道徳」が準教科書として使用されている。これまでキリスト教主義学校では「道徳の時間」の代替として「聖書」の授業が認められてきたが、今後はどのように変化していくのか。これからの道徳教育のあり方を、牧師や教会学校の教師とともに考えていこうと、玉川聖学院(東京都世田谷区、安藤理恵子学院長)が1月22日、「教会セミナー」を開催した。
セミナーには45教会から85人が参加。同学院中高等部長(校長)の水口洋氏(キリスト教学校教育同盟理事、国際基督教大学非常勤講師)が、「今、キリスト教学校で起こっていること――道徳教育の必修化をめぐって」と題して講演した。
道徳の教科化の背景には、11年に滋賀県大津市で起こった中学生のいじめ自殺事件がある。この事件を機に、13年に「いじめ防止対策推進法」が制定され、その流れの中から、道徳を学校で広く教えていこうという風潮が強まり、教科化が推進されてきた。
「特別の教科 道徳」では、検定教科書を導入するが、点数評価はせず、専門の教科免許も創設しない。同氏は、宗教系の私立学校で認められている「宗教」や「聖書」での代替については当面は認められるとしつつ、「道徳4領域24項目」が教えられているか確認されるように変化していく可能性があると予想。同時に、歴史修正主義に立ち、明治憲法の復権と愛国心の涵養を目指す勢力が願う方向に道徳教育が向かっていることを危惧した。
同氏はまず、道徳教育の歴史的経緯をたどった。戦前の「修身」を振り返り、明治初期の道徳教育は現在の社会科に近いものとして始まったが、1880年の改正教育令以後、儒教教育に基づく道徳に変化し、90年に教育勅語が発布されると、完全に国家主義的な道徳に変わったと説明。「教育勅語」は天皇の勅令として一方的に与えられたのであり、学問的な研鑽の中で培われたのではなく、勅令として作られたことに危うさがあったと述べた。
「道徳が悪いのではない。道徳の中には、子どもたちが獲得していくべき徳目がたくさんある。その土台にあるのは、文化、民族、国を超えた人間の生き方。しかし、それがどのような形で用いられるかによって、まったく違う結果になる。自分で考えずに、ただ上から与えられるものを道徳として獲得していくという方向に、今また向かおうとしているところが怖い」
戦後、修身は廃止されたが、少年犯罪が増加したことを背景に、道徳を復活させるべきとの世論が湧き、58年に「道徳の時間」が設定された。この時、宗教系の私立学校では、「宗教」や「聖書」での代替が認められたが、これに関連して水口氏は、57年当時に文部省初等中等局長だった内藤誉三郎の言葉を引用。内藤が、教育の根底は宗教だとし、キリスト教主義学校の独自の教育方針が日本の教育にとって大きな貢献だと述べていることを紹介し、その見識を評価した。
今世紀に入り、06年に教育基本法が改定され、個の尊厳から集団の維持を中心とする教育に目的が変化してきたことを踏まえ、現在推進されている「道徳の教科化」は、決して現場の必要から生まれたものではないことを水口氏は強調した。
子どもを固有の価値ある存在として
その上で水口氏は、「私たちの道徳」の中で触れられている「4領域24項目」を紹介。自分自身に関することが5項目、他の人との関わりが6項目、自然や崇高なものとの関わりが3項目、集団や社会との関わりが10項目あり、最後の第4領域が全体の40%を占めることから、「集団の中で自分をどう位置付けるか」というところに道徳教科の中心があることを示した。
「私たちの道徳」の問題点としては、次の5点を指摘。第一に、全体的に「上から目線」で、努力して成功することだけを人生の「正解」とし、子どもたちの成長の発達段階を考えていないこと。第二に、人間の有限性、内面の苦悩、悲しみに触れずに、「弱さは克服すべきもの」だという「成功主義」「成長信仰」を植え付けていること。第三に、自然に対して畏敬の念を持つことは、神道の考え方に結びつく危険性があること。第四に、曖昧な主観主義、感覚主義によって、道徳の問題が気持ちの問題に置き換えられていること。第五に、「ヨコ」の関係(人との関係)が重視され、哲学や宗教の持つ「タテ」の関係(どう生きるか、どのように自分を作っていくかという実存的な問題)が軽視されていること。
そして、キリスト教主義学校や教会が子どもたちに道徳を超える真理を伝えるための3点を強調した。第一は、「かけがえのない私の発見」。日本の中学生の84%が自分に自信を持っていないのは、幼い頃から人と比較され、自尊感情をなくしているからだとし、固有の価値ある存在として、人との比較ではない独自性を承認することが大切だと述べた。第二は「他者と共に生きる世界」の探求。それは、異なった世代・民族との交流の中から、「違っているから素晴らしい」ということを発見することであり、神の創造の多様性と豊かさを発見することでもあると主張した。第三は、「自分の使命(ミッション)に生きる」ということで、世界と関わることや隣人愛にもつながると説明。「これがキリスト教教育の土台であり、子どもたちに伝えていくべき大切な世界観ではないか」と訴えた。
最後に、ルカ15章の放蕩息子のたとえ話を、人格的な関わりの中で主体性や自立が始まる物語として紹介し、それを子どもたちにわかるような形で提供していくことが必要だと強調。「キリスト教の教義も聖書の話も、人格から人格にしか伝わっていかない」とし、「わたしたち自身が愛された存在、赦された存在であることを自覚した時に、初めて目の前の子どもたちを無条件に愛することができるのではないか」と語った。
「キリスト教学校の伝統的な聖書の教えが束縛されていくのではないか」と危惧する参加者の声に対し水口氏は、「宗教はある意味で道徳を包含している」と述べ、「聖書」の授業が道徳的な内容を含んでいれば今回の改定では心配ないとしつつも、今後「集団への貢献」という面から「愛国心」の問題が表面化してくることを危惧。「4領域24項目」が「聖書」の授業のどの部分で教えられているかを提示できなければならない、と注意を促した。