巨匠オタール・イオセリアーニの豊饒な作品世界 映画『皆さま、ごきげんよう』 2016年12月25日
御歳82を迎えたグルジア出身の巨匠オタール・イオセリアーニの、パリをながめる視線はユーモラスだが批評的だ。激動の時代をあつかう中でも暮らしのディティールへ目配りを怠らず、描き出す存在の滑稽さにこそ霊性の息吹をふとのぞかせる緩急のバランス感覚。それは検閲の厳しい旧ソ連圏の撮影環境を生き抜き、パリへと移住後の50代以降は商業主義との格闘を経てきた彼ならではの、熱をはらみながらも冷静沈着で、常に複眼的かつ多層的な眼差しと言えるだろう。
映画『皆さま、ごきげんよう』は、現代のパリを主な舞台とする。アパートの管理人で陰で武器売買も営む老人と、その親友である骸骨集めをライフワークとする人類学者。2人の周囲には変態的な警察署長や若者盗人集団、没落貴族の淑女など奇特な人々が跋扈する。そうしてこれらの人々が、別の時代や別の場所にも丸ごと同じ組み合わせで登場するのが本作の特色だ。
映画はまず、フランス革命時のパリから始まる。断頭台の刃の切れ味を確かめる処刑人。編み物をしながら見物していた主婦の一人が、斬首された男の頭部を嬉しそうに腰巻きへ包んで持ち帰るとスクリーンは暗転し、オープニングのBGMとタイトル表示。続いて現代の激しい戦場が現れる。そこはイオセリアーニ監督の出身地グルジアの内戦地帯だと次第に分かる。民家に押し入り強盗暴行に及ぶ兵士たち。盗品を贈り物にして女性の気を引く若い兵士は、現代パリのシーンでも同じ女性に恋してもがく。時代や場所を違えど変わることのない人間の営みを、多声的かつハーモニカルに描き続けてきたイオセリアーニならではの含蓄がそこに備わる。
このグルジア内戦のシークエンスでは、川面に立つ司祭により若い兵士たちが洗礼を施される場面が登場する。司祭服を着た老人は兵団の将校でもあり、部隊はそのまま村落への強奪行為へと走る。本紙のインタビューに際してイオセリアーニ監督は、グルジア正教会の堕落について語った。グルジア正教会のみならず、ロシア正教をはじめとする旧ソ連圏の教会全体が、現代では国家に仕える存在へとなり下がっている。そうした教会と関わることはできず、まず各々が各自の生に対して責任を持つべきだという監督の信条が、この内戦下での洗礼場面では巧みに結晶化されている。
さてインタビューは米大統領選の開票日当日に行われたこともあり、監督の政治への言及はいきおい熱を帯びるものとなった。プーチンはアメリカを失墜させるためにこそトランプを有用と考える、本音は移民を労働力の下支えとしたい独メルケル首相、ロシアン・マフィアの草刈り場となったBrexit下のロンドン、正教会が諜報センターと化したパリの惨状。イオセリアーニ監督の熱弁は、ウィスキーグラスを片手に滔々と続けられた。ともあれ82歳、老いてますます盛んなこの巨匠の撮る作品世界の豊穣を、ぜひ映画館にて。(ライター 藤本徹)
12月17日より岩波ホールほかにて全国順次公開。
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