【映画評】 『ハクソー・リッジ』 燃えさかる炎の直下でこそ重み増す信仰の価値 2017年7月1日
イエス・キリストの生涯を主題とする『パッション』で物議を醸したメル・ギブソン監督が、今夏の新作『ハクソー・リッジ』では太平洋戦争下の沖縄を舞台として、信仰者の強さを描き出した。
〝ハクソー・リッジ〟とは「のこぎりのような 断崖」を意味し、那覇北方の前田高地を指す。1945 年4月末、この地では実際に激戦が行われた。
のどかな田舎町育ちの主人公デズモンド・ドスは、愛国心から志願兵となるが、同時にその幼少体験と信仰心から「絶対に人を傷つけない」という強い信念を育む。軍事教練の場面では、この信念と軍隊の論理との衝突が描かれる。そこで彼は 「臆病者」と名指しされ執拗ないじめに遭う。しかし沖縄での実戦に入ると、この信念に基づく衛生兵としての奇跡的活躍から周囲を刮目させる。
眼前する地獄のような光景に言葉を失った彼は、天を仰いで神を問いただす。すると硝煙の向 こうから、助けを求める負傷兵の声が聞こえる。それがデズモンドにとっての、召命となる。部隊の撤退後も戦場に残ったデズモンドは、負傷者救出の孤独な戦いをたった一人で始めていく。
『パッション』公開時にはイエスへの拷問表現の過酷さから、「残酷な映像が続くが良いか」と券売所で念押しされる事態も生じたが、本作もその点は変わらない。これを監督個人の弑逆嗜好ととる酷評も散見されるが、むしろここに表現者メル・ギブソンの本領がある。血しぶきが舞い、手足や内臓が飛び散る中、不可視の信念の輪郭が鮮烈に浮かびあがる。メル・ギブソン映画の精髄はそこにある。
煉獄の燃えさかる炎の直下でこそ、聖書に示される神の愛の実践者であり続ける。こうした見方をとる時、そこで描かれるものの現代性に気づかされる。例えばソマリアでの米軍の作戦失敗を描く名作『ブラックホーク・ダウン』終盤で、戦場へと戻る軍人は戦う理由をただ「仲間を救うため」と語る。価値観の多様化した現代では、「お国のため」は誰の心をも捉えない。流通情報革命によりコミュニケーションの圏域は拡大する一方で、右傾化やゲーテッド・コミュニティ化などに顕著なように、公共の感覚は縮約傾向のさなかにある。
安易なセンセーショナリズムや日和見主義に陥らないための信念の価値は、こうした時代こそ重みを増してくる。この信念の根拠として、本作では信仰が設定される。セブンスデー・アドベンチストに属するデズモンドは、土曜日の安息を厳守する。多くの現代人同様に信仰からはすでに遠い他の部隊員たちが、終盤ではデズモンドの安息日をそろって尊重するようになる。信仰心が芽生えたのではない。その戦場には、彼の携える強さこそ必要なのだと皆が理解したからだ。
デズモンドを演じるアンドリュー・ガーフィー ルドの主演前作は、遠藤周作原作のスコセッシ監督作『沈黙』だった。『沈黙』と同じく、『ハクソー・リッジ』は祈る彼の姿によって物語の幕を落とす。その姿は不安の時代とも呼ばれる現代に生きるわたしたちに、真に必要なものは何かを改めて考えさせる。 (ライター 藤本徹)
監督:メル・ギブソン 出演:アンドリュー・ガーフィールドほか
TOHOシネマズスカラ座ほか全国ロードショー。
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