アジアキリスト教協議会 「ミッション・カンファレンス」 アジアと日本の教会が担う未来と世界への責任 2017年11月1日
アジアと日本の教会が担う未来と世界への責任
ミャンマーのヤンゴン市で10月12~16日、アジアキリスト教協議会(CCA)主催による「アジア・ミッション・カンファレンス(AMC)」が開催された。正式な参加登録者数は552人。日本も、日本基督教団、日本聖公会、在日大韓基督教会などから9人が参加した。「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク・東北へルプ」事務局長として、プレ ゼンテーションを行った川上直哉氏(日本基督教団仙台北三番丁教会担任教師)の報告を掲載する。
「被造物の呻き」聞き取れる現場
川上 直哉(仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク・東北ヘルプ事務局長)
AMCの中で、CCAは「西はイラン、東は日本、北は中国、南はオーストラリアまでのキリスト者」の集会であると紹介されていました。日本キリスト教協議会(NCC)の公式な説明によると、CCAとは「アジアにおける21カ国100の教会、17の各国・地域のキリスト教・教会協議会をメンバーとし、タイのチェンマイに事務所を置き、活動を展開」している団体です。世界教会協議会(WCC)に参加する諸教会の、アジア地域の会議体となります。設立は1957年であり、今年が60周年となりますから、今回のAMCは「60周年記念大会」をも兼ねていました。
東日本大震災の被災地において、CCAは東北地方と深いつながりを持ち始めました。
東北震災の直前、ニュージーランド南部のクライストチャーチが大震災に見舞われました。その復興のために世界に救援を呼びかけ始めたその時、世界の注目は日本の津波と原子力発電所爆発事故にひたすら集まってしまいました。ニュージーランドへ届くべきであったかもしれない支援もみな、日本へと向かってしまったのです。その苦境の中でニュ ージーランドをひとり支えたのが、CCAであったと、クライストチャーチの教会ネットワークの方から、わたしたちは知らされました。
「受けるより与えるほうが幸いである」と主イエスから知らされているはずのわたしたちは、深く反省をしました。与えられた恵みをどのように感謝するのか。わたしたちはCCAとのつながりを深めていきます。2013年のWCC釜山大会ではニュージーランドと共同のブースをもって展示を行い、2014年にはそのブースで生まれた出会いをたどりタヒチに「福島の石」を贈呈しました。また、2013年にはフィリピンへの台風被害支援募金を東北で開始し、アジア学院のネットワークをたどってその資金を届け、東北で始まったネットワークの働きを模した「エキュメニカル・フェローシップ」がフィリピンで始まりました。
アジアと東北とは「弱さ」を絆にしてつながりが広がりつつあるのです。弱さは、絆になります。それは、現場を共有するからだと思います。現場とは、「被造物の呻(うめ)き」が聞き取れる場所だと思います。
今回、わたしは「被造物の呻きと経済的不正義」を主題として発表するようにとの要請を受けました。フクシマについて語ってほしい、という要請だと理解しました。それは決して簡単なことではありません。放射能の災厄については、日本ですら、必ずしも大多数の方がすぐ理解できるわけではない。それが現在の状況です。しかしそれでも、 一定数の方々が真剣に心配をしてくださっている。その思いに応えつつ、少しでも理解を広げ祈りを惹起しなければならない。それがわたしの責任でした。
鍵は、現場にあると思いました。不正義に押しつぶされ、声を上げることすらままならない人々がいる。そこに「被造物の呻き」がある。アジア各地にも、そしてミャンマ ーにも、それはあるはずだ。その「声にならない声」を共鳴させること。それがわたしの発表の方針となりました。
わたしは発表原稿の中で「ロヒンギャ」の問題を指摘しました。東北・石巻で、ロヒンギャ難民のための募金活動へ向けた運動が始まっています。そのことに触れ、「声なき声の共鳴」に挑戦してみました。
果たして。わたしの発表の後、ミャンマー教会協議会のマー総幹事がわたしを別室に呼んでくださいました。総幹事はわたしに、次のことを教えてくださいました。
「ミャンマーの教会は、ロヒンギャの難民問題への支援を、キリストの愛の業として真剣に検討している。その過程で分かったことがある。この問題は、仏教徒によるイスラム教徒への迫害であると報じられている。それは事実と違う。
難民の中には多くヒンズー教徒や仏教徒などがいる。迫害されているイスラム教徒の多くも、最近流入してきた移民である。そもそも『ロヒンギャ』というのは『国を失いつつある人々』という意味の、新しい造語である。今起こっていることは、移民の増加に法律が追い付かない、という現実と、古くからあるイスラム教徒と仏教徒との対立が混ぜ合わされた、混沌である。
それを、世界のイスラムネットワークが単純化して伝え、結果として混乱に拍車がかかっている。その結果、国連の支援は全くちぐはぐなものとなっており、現地では二重三重に人々が苦しむことになっている」
現場から離れた善意が、悪意に翻弄される人々を再び苦しめる。そんな現実がミャンマーにある。それはそのまま、今の福島の現実と重なっていました。現場には、同じ「被造物の呻き」がある。声にならない声。現場から離れると聞こえなくなる声。現場に寄り添うことによってだけ、聞こえる声。それを聞き取る教会が、その声を共有する場所こそ、世界の協議会なのだろうと思いました。
アジアの諸教会への貢献を掘り起こす時
協議会の中で最も有益だったと評価が高かったのは、礼拝と分科会でした。特に分科会は、30人ほどの人数で6回集まり、それぞれの現場からの密度の濃い議論が交わされました。そこで何度か聞こえたのは、「日本人はいつも、申し訳ないと言ってくれる」という声でした。こ こには、先達の努力とアジアの人々の高貴な寛大さが表れていました。また、日本基督教団からミャンマーの教育NGOへの献金があり、それが本当に大きな成果を上げつつあるとのことで、厚く御礼をしていただく機会も得ました。確かに、1945年までの現実に、わたしたちは(それなりに)向き合えてきたのかもしれません。それと比して、1945年以降は、どうでしょうか。
今回、「60周年記念礼拝」が、AMCのプログラムの中で行われ、CCAの歴史が振り返られていました。その中で、歴代CCAスタッフの名前が読み上げられ、神への感謝の祈りがささげられました。Ogawa、Arai、Omura、Otsu、Yawataといった日本風の名前が読み上げられました。しかし、わたしたちはその働きをどれほど知っているでしょうか。
読み上げられた名前の中に、大津健一さんのお名前もありました。今年、天に召された方です。 その記念会において語られた中で、「CCAは、当初シンガポールに本拠を置いていたが、諸般の事情からいったん大阪に本拠を移していた」という紹介がありました。その紹介をしておられたのは山本俊正さんでした。山本さんは今回のAMCに参加し、その終了後はミャンマーでアジアのエキュメニカル運動について講義をなさるとのことでした。わたしたちの神学校で、そうしたことは、どれほどなされているでしょうか。
フィリピン教会協議会のレックス総幹事が、朝食の時、わたしにおっしゃったことが強く印象に残っています。「ミスター八幡を知っているか。彼がなぜ、CCAを離れたのか。そのことを、わたしたちはみな知らなければならない。それがはっきり分かり、そこから学ぶべきものを学ぶまでは、CCAは今の立ち位置から前進できない。今の立ち位置とはどこか。それは、実は60年前とあまり変わっていない場所なのだ」
八幡明彦さんは、東北の被災者のために尽力され、2013年1月16日に、宮城県で亡くなられた、 被災地の恩人でした。
おそらく、日本のキリスト者には、アジアに対する責任があるのだろうと思います。会議中、インドの方が熱心にフクシマのことを聞いてくださいました。インドには、巨大な規模でのウラン鉱山被ばく被害現場があるのです。しかしその声は、なかなか上がらない。対照的に、ヒロシマ・ ナガサキ・フクシマを背景に持つ日本には、声を上げるチャンスが与えられている。そして実際、この60年間、日本はアジアの諸教会に貢献をしてきた。わたしたちが忘れているその貢献を今、掘り起こされなければならない。
アジアと日本の過去と現在を、未来と世界へ展開すること。幸い、今回参加された藤原佐和子さんは、この課題への熱意を強くお持ちでした。わたしたちの責任は、はっきりしている。そのことを確認したアジア・ミッション・カンファレンスでした。