【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 立てよ、信徒! キョウカイホワイト 2017年11月1日
所属教会で、主任牧師が突如辞任してしまいました。もちろん、教会は上を下への大騒ぎです。何が問題だったのか。他の牧師との対立か、あるいは役員会との関係に問題があったのか。進行中の会堂移転の話はどうなるのか。礼拝後の昼食の時間はありとあらゆる噂話が飛び交っています。
臨時総会が開かれました。当然のごとく議事は大荒れに荒れ、6時間ほど続きました。終了間際、少し前に転会してきた年配の教会員が憤然として立ち、残っている牧師たちに理路整然と厳しい言葉を投げかけてからこう叫びました。
「教会はキリストのからだです。こんなことはあってはならないことです!」
牧師たちは皆、うつむいて彼の言葉を聞いていました。あってはならないこと?そうですねぇ、確かにこんなことはない方がいいです。でも、牧師を攻撃していったい何になるっていうんでしょう。彼の正論は一部の教会員を正義感に酔わせ、少数の教会員を悲しませ、小生を含むほとんどの教会員をうんざりさせました。彼の言葉こそあってはならないことじゃないの、という重苦しい雰囲気が臨時総会の場を覆いました。
小生は牧師を軽視するつもりはありません。でも、教会員はあまりに多くのことを牧師に期待しすぎてはいないでしょうか。いつもニコニコ、地域の行事には積極的に参加し、教会員の話はいくらでも聞き、もちろんすべての教会行事に率先して取り組む。これが良い牧師の条件だっていうなら、教会の奴隷もいいところです。
牧師と信徒の違いはただ一つ、覚悟だけだと思うのです。キリストに従うという覚悟を、信徒よりさらに一歩深いところまで踏み込んでいるのが牧師で、それ以外に何の違いもない。もちろん、牧師になるためにさまざまな学びをしているわけですが、それは本質的な違いを生む要素ではありません。その証拠に、聖書学だって神学だって、牧師以上に詳しい信徒は存在します。そんな弱い存在である牧師に過度な期待を寄せてしまっているから、牧師1人が辞任したくらいで教会が立ち行かない事態に陥るのです。
じゃあどうすりゃいいのよ、と言われそうです。小生の処方箋は二つあります。まず、牧師が1人の人間であり、他の人たちと同じように弱く、愚かで、時に自己中心的であることを認めることです。いくらキリストに従うと覚悟を決めたところで、人間であることに変わりはありません。もし牧師が間違っていると思うのなら ば、牧師かくあるべしという幻想を捨て、1人の人間として向かい合いましょう。ここを間違えることで、話がこじれてしまうことが多いように思います。
もう一つは、信仰を牧師に依存しないということです。別に毎日聖書研究をしろというわけではありませんし、牧師の説教にいちい ち批判を加えろというわけでもありません。前者はお勧めですが、後者はお勧めしません。牧師もただの人間です。年中文句を言われてはかなわないでしょう。
信仰を牧師に依存しないとは、自分がキリストと向かい合う時間を持つことです。まずは祈りでしょう。そして日々、キリストが共にいてくださることを信じながら生きることでしょう。そこから、わたしたちの信仰の言葉が、あえて言えば神学が生まれるでしょう。
……などと臨時総会後に友人に話していたら、何と次期役員候補にされてしまいました。の、逃れの道を聖書に探そうっと……。
キョウカイホワイト
白鳥 剛(しらとり・ごう) 通勤電車内での読書を愛するウンチク系ものしり博士。キョウカイジャー唯一の一般信徒。妻との生活を守るため、職場の理不尽に耐える姿はまさに社畜。武器:理屈/必殺技:おだやかな論破/弱点:ピーマン