【宗教リテラシー向上委員会】 サウジ女性の運転解禁は自由の獲得なのか? ナセル永野 2017年11月1日

 現在、サウジアラビア(以下サウジ)は女性が車の運転をすることを禁じている世界唯一の国である。女性の運転解禁を求めて2011年アメリカで運転免許を取得したサウジ人の女性活動家が、自分が運転している様子をYouTubeに投稿し、拘束されるという事件が発生。この事件に呼応するように同時期に何人かの女性も運転をし、そのうちの1人に「むち打ち10回」という判決が下ったことで世界中から注目を集めた。

 2013年にはサウジの国内各地で女性が一斉に運転をする抗議運動を実行した。参加した約40人の女性が自分の運転している姿をYouTubeに投稿し、拘束されたことはさらに大きく国際世論を動かした。そしてようやく、2017年9月サルマン国王が女性の運転を来年6月に解禁するという勅令を発表したのだ。

 そもそもサウジではなぜ女性の運転が禁止されていたのだろうか。多くのマスコミでは「イスラムの厳しい戒律によって」と説明されていた。しかしながら、イスラムが誕生した1400年前に車は発明されていない。そのためコーランに「車を運転してはいけない」という記述があるはずもなく、預言者ムハンマドが「女性は車を運転してはならない」と言っているわけもないのだ。そんな状態で、どう解釈すれば運転禁止という結論が導き出せるのだろうか?

 女性が車を運転してはいけない理由について、イスラム法学者のルハイダンは「女性が車を運転すると卵巣や骨盤に悪影響を与え、生まれてくる子どもにさまざまな病気を引き起こす」と説明している。他にも「開放的になり、売春や同性愛が増えて、離婚率が上がるから」「強姦、姦淫、非嫡出子、薬物乱用、売春の発生率は女性が運転しない国に比べて、女性が運転する国の方が高いから」といったような説明がされている。言うまでもなく、これらの理由はコーランに準拠したものではなく、イスラムとは何も関係がない。

 イスラムは聖俗一致の宗教である。そのため政治的、文化的な要素が融合し、地域によって独自の解釈が行われている。サウジが女性の運転を禁止していた理由も宗教・文化・政治が複雑に絡み合った結果であったと言えるだろう。ムスリムが多数派を占める国は他にもたくさんあるが、女性の運転を禁止していたのがサウジだけであったのが何よりの証拠だ。

 サウジで女性が禁止されていることは車の運転だけではない。サウジでは、女性は外出時にはアバヤと呼ばれる目だけが出た黒い服で全身を覆うことが外国人であっても義務付けられている。これは「外に表われるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない」(24:31)というコーランの一節によるものだと説明されている。だが、アバヤはサウジを含むアラビア半島の伝統衣装であり、イスラム以前から存在していたものだ。

 多くのムスリム女性が宗教上の理由で肌や髪を隠していることはよく知られている。しかし、その程度は上述したコーランにある「美しい部分を目立たせてはならない」の解釈により地域・個人によってさまざまだ。これもまた宗教が文化・政治の影響も受けた一例だろう。

 今回のサウジにおける女性の運転解禁に限らず、近年ムスリム女性が自由を獲得する運動が活発化している。これらはマスコミが報じるような「厳格な宗教からの脱却」ではなく「文化・政治の影響力からの脱却」のようにわたしは思っている。すなわち、「男でも女でも、あなたがたは互いに同士である」(3:195)というイスラム本来の姿への回帰運動なのだ。

ナセル永野(日本人ムスリム)
 なせる・ながの  1984年、千葉県生まれ。大学・大学院とイスラム研究を行い2008年にイスラムへ入信。超宗教コミュニティラジオ「ピカステ」(http://pika.st)、宗教ワークショップグループ「WORKSHOP AID」(https://www.facebook.com/workshopaid)などの活動をとおして積極的に宗教間対話を行っている。

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