【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 つながり方はいろいろ キョウカイホワイト 2018年2月11日

 配偶者があるJリーグのチームを熱心に応援しているので、年に何度かそろってサッカー観戦に出かけます。バックスタンドにちょこんと座り、ステーキ串とビールを楽しみながらフィールドを眺めています。周囲には1人でじっと戦況を見つめる人、友人とずっと話している人、親・子・孫と三代そろって見ている人、そして小生たちのように試合そっちのけで食べたり飲んだりしている人がいます。中継画面を見ているだけでは分からない多様な楽しみ方があります。試合を見にいかなくても、部屋で中継を見たり、仕事しながらスマホで途中経過を気にしたりしている人もたくさんいます。

 サッカーチームを応援するというと、ゴール裏でずっと飛びはねて声を出し続けるサポーターを連想しますが、応援のかたちもさまざまです。試合を見にいったことはないけれど、新聞のスポーツ欄でついつい結果をチェックしてしまうというのも、間接的ですが応援の一つのかたちでしょう。

 クリスチャンとして生きるということは、思った以上にサッカーチームを応援することに似ています。だいたい試合(礼拝)は週に一度です。たまに水曜あたりにもう一試合(祈祷会)あったりします。そこで仲間と一緒に(賛美の)声を上げ、時に喜び、時に落胆し、そして新しい1週間へと進んでいく。

 スポーツごときと信仰を一緒にするな、とお怒りの方は本欄の読者には少ないでしょうが、熱心なサポーターの「献身」ぶりは小生のようなキリスト者の比ではありません。可能な限りすべての試合へ応援しにいくのはもちろん、暇さえあれば練習場にも顔を出し、自腹でチケットを買っては友人知人を観戦に誘う。一歩間違えばカ
ルト宗教並みの危険さですが、そこまでその人を突き動かす何かがあるのです。

 そんな人と少し前にお話ししました。熱くチームへの思いを語られるかと思いきや、その人はこんなことを言いました。

 「チームにつながるかたちは、たくさんあっていいんです。熱心な人の中には自分たちと同じように熱く応援する人たちしか認めない人もいます。その気持ちは分かるのですが、まずはサッカーを見にいくことの楽しさを味わってほしいのです」

 こういうゆるさが、もっと教会にあってもいいのではないでしょうか。とっくにそうしてるよ、とおっしゃるかもしれませんが、初めて教会に来た人が受ける窮屈な感じ、自分なんかがここにいていいのだろうかという圧迫感は、クリスチャンになるとなぜかきれいさっぱり忘れられるようです。別に圧迫するつもりはなくても、教会員が真剣に礼拝に向かっている姿に触れて違和感や拒絶感を覚える人がいることも覚えておきたいものです。

 日本の教会は何だかんだ言ってまじめです。少数派ですから、まじめにやらなければ消えてしまうという悲愴感さえ漂うまじめさです。でも、そのまじめさが時に人を遠ざけてしまっているとしたら、どうでしょう。

 今さら新しいことなんてできないという方、多いと思うのです。で、小生思うにですね、そういう方は今のままでいいんじゃないでしょうか。これまで通りの礼拝でこれまで通りに力を得て、それでいいではありませんか。そして、新しいことを始めた人たちを、温かく見守りましょう。「キリ新」でそういう人たちを見つけて、祈りましょう。それで十分!

キョウカイホワイト
 白鳥 剛(しらとり・ごう) 通勤電車内での読書を愛するウンチク系ものしり博士。キョウカイジャー唯一の一般信徒。妻との生活を守るため、職場の理不尽に耐える姿はまさに社畜。武器:理屈/必殺技:おだやかな論破/弱点:ピーマン

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