【宗教リテラシー向上委員会】 ベールに包まれた○○の話 ナセル永野 2018年3月21日
突然だが、あなたの周りにムスリマ(イスラム教徒の女性)はいるだろうか。誰でも一度は教科書やニュースなどで目にしたことはあるだろう。彼女たちはヒジャブ・ジルバブなどと呼ばれるベールで頭部を覆い、髪を隠している。また全体的に丈の長い服を身に着け肌の露出を控えている。これが、多くの日本人が考えるムスリマのアイコンではないだろうか。では、なぜ彼女が髪や肌を隠して
いるのか、あなたはご存じだろうか。
2月18日、全国で看護師国家試験が行われた。その中には経済連携協定(EPA)で来日しているムスリマの受験者の姿もあった。そこで、あるトラブルが発生した。ムスリマの受験者に対し、試験官が頭部を覆っていたベールをめくり上げたのだ。報道によると試験官は「不正行為防止のため」「マスクやひざかけなどを使う場合と同様に対応した」と説明したという。
同様の出来事は他にもある。数年前、横浜市の老人ホームで研修を受けていたインドネシア出身のムスリマが、仕事中はベールを外すよう求められた。理由は「高齢の利用者が不安に思ったり、怖がる可能性があるから」だったという。
わたしの身近でもムスリマ留学生がアルバイトの面接を受けた際、ベール着用を理由に不採用とされるなどのエピソードは数多く存在する。バンダナなどで髪を覆う飲食店であってもだ。
そんなに布切れが大切なのか? と疑問に思う人も多いのかもしれないが、コーランに「信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表われるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい」(24:31)と記載されていることから、イスラムでは「美しさは秘めるもの」という文化がある。女性の美しさである肌や髪を隠す、反対に考えれば彼女たちからベールを外すことは、露出範囲を広げ羞恥心
を強制することだけでなく、コーランの教えに反するという背徳感をも与えてしまうのだ。
先述の試験官が、ベールをめくり上げる前に「どうしてベールをしているの? それは取れないの?」とひと言でも聞いていたら会話が生まれ、事態は違っていただろう。考えてみてほしい。マスクや膝掛けをしている日本人の受験者に対して、それらを試験官が触ることなどあるだろうか。
その一方でベールを着用しないムスリマも存在している。ベールの代わりに帽子を着用して髪を隠したり、非イスラム社会でベールを被ると目立ってしまうからと割り切って髪を露出したり、場面によって、気分によって、ファッションによって使い分けている人もいるのが現実だ。彼女たちは独自の解釈で着用していない。これは決して信仰心が薄いというわけではなく彼女なりの解釈であり、コーランではそれを認めている。つまり「ムスリマ=ベールで髪を隠している」という単純なものでもなく、非常に多様性に富んでいるのだ。そのためマニュアル化した「宗教的配慮」は、さらなるトラ
ブルを招く要因にもなり得るだろう。
近年、イスラム圏からの観光客誘致が活発化し、食材や礼拝施設などの整備が進められている。留学や仕事のために日本で暮らすムスリムも急増している。しかし、イスラムへの理解そのものは停滞しているように思えてならない。このアンバランスな状況を続けてきた結果が今回のトラブルを招いた最大の元凶ではないのだろうか。この状況を放置すれば、さらなるトラブルの要因になる気がしてならない。
ナセル永野(日本人ムスリム)
なせる・ながの 1984年、千葉県生まれ。大学・大学院とイスラム研究を行い2008年にイスラムへ入信。超宗教コミュニティラジオ「ピカステ」(http : //pika.st)、宗教ワークショップグループ「WORKSHOPAID」(https : //www.facebook.com/workshopaid)などの活動をとおして積極的に宗教間対話を行っている。