【聖書翻訳の最前線】 旧約聖書⑤「空」(コヘレトの言葉 11章1─10節) 2018年5月1日

⑤「空」(コヘレトの言葉 11章1─10節)

 1970年代までは、著者コヘレトは世をはかなむ厭 世主義者で懐疑主義者と見なされていました。そのため、新共同訳の11章1─10節においても、7節の明るい表現が懐疑的な文脈の中に埋没し、「分かったものではない」(2節)、「蒔けない」「できない」(4節)、「分からない」「分かるわけはない」(5節)、「分からないのだから」(6節)、という懐疑的表現で訳されています。

 また、新共同訳は8節までと、10節も区切りと見ます。それは、いずれの段落も「空しい」で終わるからです。また、「コヘレトの言葉」全体が、格言の羅列でしかないという考えがあったために、小見出しも付けられないという判断がなされたものと思われます。

 しかし、現在では、「コヘレトの言葉」は一貫した思想的論調の書として解釈されるようになりました。そこで、聖書協会共同訳では、文節は1─6節、7─8節、9─10節と分かれます。7節の「光」「太陽」は12章2節と対応して囲い込み(インクルージオ)を形成しているので、11章7~12章2節を一つの段落と見なします。この7節から段落が変わるので、「造り主を心に刻め」という小見出しがついています。

聖書協会共同訳

1 あなたのパンを水面(みなも)もに投げよ。
  月日が過ぎれば、それを見いだすからである。

2 あなたの受ける分を七つか八つに分けよ。
  地にどのような災いが起こるか
  あなたは知らないからである。

3 雲が満ちれば、雨が地に降り注ぐ。
  木が南に倒れても、北に倒れても
  その倒れた場所に木は横たわる。

4 風を見守る人は種を蒔けない。
  雲を見る人は刈り入れができない。

5 あなたはどこに風の道があるかを知らず
  妊婦の胎内で骨がどのようにできるかも
  知らないのだから
  すべてをなす神の業は知りえない。

6 朝に種を蒔き
  夕べに手を休めるな。
  うまくいくのはあれなのか、これなのか  
  あるいは、そのいずれもなのか
  あなたは知らないからである。

造り主を心に刻め

7 光は快く、太陽を見るのは目に心地よい。

8 人が多くの年月を生きるなら
  これらすべてを喜ぶがよい。
  しかし、闇の日が多いことも思い起こすがよい。
  やって来るものはすべて空 くう である。

9 若者よ、あなたの若さを喜べ。
  若き日にあなたの心を楽しませよ。
  心に適(かな)う道を
  あなたの目に映るとおりに歩め。
  だが、これらすべてについて
  神があなたを裁かれると知っておけ。

10 あなたの心から悩みを取り去り
  あなたの体から痛みを取り除け。
  若さも青春も空だからである。

 聖書協会共同訳では、1─6節の否定的表現については、ヘブライ語の接続詞キーに注目し、「~からである」と訳されています。「知らない」(2節)、「知らない」(6節)はコヘレトの否定的な結論ではなくて、むしろ理由や根拠を説明しています。コヘレトの結論は「あなたの受ける分を七つか八つに分けよ」(2節)、「朝に種を蒔き/夕べに手を休めるな」(6節)という命令です。

 地に災いが起こるかもしれないからこそ、受ける分(神から与えられているもの)を皆で分け合いなさい。どの種が実を結ぶか分からないからこそ、朝から晩まで手を抜かずに種を蒔きなさい、という意味となります。コヘレトは懐疑主義者なのではなく、将来がどうなるか分からないからこそ、逆に、今、最善を尽くすよう語ります。

 そしてコヘレトは、すべてが「空しい」と考える厭世主義者ではないので、ヘブライ語のヘベルは新共同訳のように「空しい」と訳されるより、口語訳のように「空」と訳されるほうがむしろ適切と考えました。従来訳よりも、原典に即して「コヘレトの言葉」の重要なニュアンスを生かし、そこから意味を汲み取ることができるような翻訳となっています。

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