袴田巌さん 再審開始を取り消し 〝無実の死刑囚〟に寄り添う 「救う会」の門間幸枝さんインタビュー 2018年7月1日
1966年に静岡県で起きた強盗放火殺人事件で死刑が確定したものの、2014年の静岡地裁が決定した再審開始により、48年ぶりに釈放された袴田巌(はかまだ・いわお)さん(82)。しかし、東京高裁は6月11日、地裁が再審開始の根拠としたDNA型鑑定について「信用性は乏しい」と判断し、再審開始を取り消しにするとした。
現在、袴田さんは長年にわたる勾留生活で、拘禁症状と呼ばれる精神的な病を患っている。今回の高裁の決定をどのように受け止めているかなど、本人の口から語られることは多くない。「無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会」の副代表として、長く支援活動を続けてきたカトリック信徒の門間幸枝(もんま・さちえ)さん(77)が、本紙のインタビューに応じた。
――袴田さんの支援はいつから?
わたしが支援を始めたのは、1986年です。袴田さんは84年に受洗していますが、わたしは、袴田さんがクリスチャンだと知って支援を始めたわけではありません。国家の権力によって、この無実の人が、いつ処刑されるか分からないということが許せなかったのです。
――支援する中で、一番つらかった時はどんな時ですか?
冤罪だとすでに分かっているのに、袴田さんを拘置所から出してあげられないことが何よりも辛かったです。わたしの自宅には、「死ね」などの言葉を書きなぐったファクスが届いたこともありました。「今、生きているこの(処刑されていない)状態がいいのだ」と言う弁護士もいました。この意味が当初、わたしはまったく分かりませんでした。でも、2014年3月、再審請求が認められ、裁判官の「拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。一刻も早く袴田の身柄を解放すべきである」の言葉と共に、袴田さんが拘置所から出てきた時は、本当に嬉しかったです。「巌さん、生きていてくれてありがとう」と心から思いました。
――キリスト教界からの反応は?
署名活動を一緒にしてくださったり、祈りで支えてくださったり熱心に応援してくれる方もいらっしゃいました。一方で、誹謗中傷もありました。「〝おかみ〟が間違ったことをするわけがないでしょう」と言って、署名に協力してくださらない方にお会いした時は、本当に辛かったです。「泣く人と共に泣きなさい(ローマ12:15)」とみ言葉にあるように、弱き者に寄り添うのがクリスチャンなのではないでしょうか。
―― 一方で、袴田さんと苦難を分かち合う中で、喜びもあったのでは?
静岡地裁で裁判を担当した熊本典道元裁判官の告白は、大きな喜びでした。熊本さんは、一審を担当した3人の裁判官のうちの1人でした。3人のうち2人は袴田さんを有罪としましたが、熊本さんだけは当初から無罪との心証をもっていました。心にもない死刑判決を書いたことを悔やみ、判決から7カ月後には裁判官をお辞めになったそうです。その後、弁護士になられたようですが、「わたかしは、一人の人間を殺したんだ」という良心の呵責に耐えきれず、酒を浴びるように飲み、荒んだ生活を送ったこともありました。自死を考えたこともあったと聞いています。熊本さんは、2007年に、当初から無罪の心証をもっていたことを告白されました。
さらに嬉しかったことは、「少しでも袴田さんの気持ちに近づきたい」と、療養中のご自宅で、ジュード・ピリスプッレ神父から洗礼を受けられたことです。洗礼名は、パウロ三木でした。受洗後に「袴田さんの気持ちに近づけましたか?」と尋ねると、涙を流して、「はい」と大きく頷いたそうです。袴田さんを通して、一人の人が救われた瞬間でした。熊本さんは現在、入院しながらの闘病生活を送っていらっしゃいます。
まだ、体調がよかった時には、何度も拘置所の袴田さんを訪ねたそうですが、面会は叶いませんでした。ずっと「許してくれなくてもいい。ひと言、巌さんに謝りたい」と言っていました。ようやく、今年1月、巌さんがお姉さんの秀子さんと一緒に病床の熊本さんと対面することができたのです。
*全文は紙面で。