【聖書翻訳の最前線】 差別的表現、包括言語など 「お前」「はしため」「もてなす」 2018年7月1日
(五)差別的表現、包括言語、など
聖書協会共同訳では、不快と思われる言葉遣いを減らす努力をしています。
①「お前」(エレミヤ書3章12節)
新共同訳は、「お前」という言葉を、自然な日本語を目指したために多く用いました。
主は言われる。わたしはお前に怒りの顔を向けない。
[新共同訳]
しかし、聖書協会共同訳では、神やイエスが発する言葉には「お前」を使わないことにしました。
主の仰せ。私は怒りの顔をあなたがたに向けない。
[聖書協会共同訳]
ただし、対象が人ではない場合、例えば、物や町は、例外となります。そこで、実を結ばないいちじくの木に対しては、次のようになります。
今から後いつまでも、お前には実がならないように(マタイ21章19節)
②「はしため」(サムエル記上1章18節)
過去の邦訳聖書では「はしため」が使われてきました。
ハンナは、「はしためが御厚意を得ますように」と言ってそこを離れた。
[新共同訳]
しかし、聖書協会共同訳では、「はしため」は差別的であるとして、「仕(つか)え女(め)」としました。
ハンナは言った。「あなたの仕え女が恵みにあずかれますように。」
[聖書協会共同訳]
③「もてなす」(マタイ8章15節)
イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。
[新共同訳]
この箇所の、「もてなした」と訳されるディアコネオーは「仕える」、食事の文脈では「給仕する」と訳される言葉です。しかし、癒やされたしゅうとめがイエスにしたことは、給仕だけとは限らないことから、聖書協会共同訳では、「仕えた」としました。
イエスが手に触れられると、熱は引き、しゅうとめは起き上がってイエスに仕えた。
[聖書協会共同訳]
(『聖書 聖書協会共同訳―特徴と実例』より)