【宗教リテラシー向上委員会】 広瀬元死刑囚の手記が語り続けるもの 川島堅二 2018年8月1日

 地下鉄サリン事件実行犯の一人である広瀬健一元死刑囚が獄中で記した手記を、フォトジャーナリストの藤田庄市氏から見せられたのはもう10年も前のことである。藤田氏が大学でカルト予防講演を行うにあたり、広瀬元死刑囚に学生へのメッセージとして依頼したものだった。

 早稲田大学理工学部を優秀な成績で卒業した広瀬は大学院に進学、2年間の修士課程修了を目前に就職も内定していたが、たまたま書店で手に取った麻原の著書を読み「神秘体験」を経験、オウムに入信、「出家」してしまう。「学生の皆様へ」と題する、原稿用紙にして50枚に及ぶ彼の手記には、入信から地下鉄にサリンを散布するまでの詳細な経過が綴られ、逮捕され、罪を自覚し、精神的にもオウムを離脱した後に、自分の過ちの原因はどこにあったかを克明に分析している。

 この手記は全文わたしのホームページ(http://religion.sakura.ne.jp/)で公開している。毎年のように大学等でのカルト予防講演の資料に用い、またマスコミでも何度か取り上げられた。

 死刑が確定する前に前述の藤田氏と東京拘置所で広瀬に接見した。20分という短時間であったが、わたしは手記執筆のお礼を述べた。広瀬が、サリン事件の被害者に少しでも賠償したいと、獄中で中学受験のための算数問題の作成をしているということもその時に知った。刑が執行され、彼の償いの日々は終わったが、この手記を通していつまでも語り続けるだろう。

 オウムについての今後の懸念として、麻原の死刑執行により後継団体「アレフ」がテロを行うのではという声も出ているが、それはおそらくない。過去のオウムによるテロ行為は特定の個人を標的にしたもの(坂本弁護士一家拉致殺害など)と不特定多数の市民を標的にしたもの(松本・地下鉄サリン事件)に大別されるが、いずれも自分たちの布教活動の阻害要因を取り除くという明確な目的が共通点としてあった。当時、富士山麓に広大な教団本部施設を建設、宗教法人の認証もクリアし、次は政界への進出と「真理党」を結党した麻原、それに立ちふさがったのが坂本弁護士だった。松本でのサリン散布はオウムに対する地元住民の土地返還訴訟を、地下鉄でのそれは、オウムへの強制捜査を阻止する目的だったとされる。これに対し、麻原の死刑執行は現在のアレフの活動にとってマイナス要因になるとは考えられない。むしろ生前の麻原による「キリスト予言」の成就と解釈される可能性が高い。

 したがって、危惧すべきはもっと別の形での活動の活発化である。かつては冷戦体制の解体、国内バブル経済の崩壊と世紀末という時代の空気が若者のオウム入信を後押しした。現在は、3・11に象徴される大規模災害、政治の腐敗、雇用の不安定化などが若者の将来に影を落としている。こうした若者たちへのアレフの勧誘・布教活動は今後さらに活発化することが予想される。

 今年の2月に教祖が刑期を終えて出所した「摂理」(現・キリスト教福音宣教会)もそうだが、裁判も終結し、社会的制裁を済ませた宗教団体の活動に第三者が介入することは難しい。そういう意味で2018年は、日本におけるカルト対策が新たなステージに入った年として記憶されることになるだろう。

川島堅二(東北学院大学教授)
 かわしま・けんじ 日本基督教団正教師、博士(文学)、専門は宗教哲学、組織神学。オウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、再発防止のために弁護士や学者、心理カウンセラー、宗教者、元信者、被害者家族らにより結成された日本脱カルト協会に草創期より関わり、現在は理事も務める。

連載一覧ページへ

連載の最新記事一覧

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘