【教会建築ぶらり旅】 早稲田奉仕園スコットホール■質実の歩みの意味 藤本 徹 2018年8月1日
早稲田の地下鉄駅から地上の交差点へあがり、大学キャンパスへ連なる人の流れをはずれ狭い路地をわけ入ると、煉瓦の赤茶色に覆われてどっしりとした存在感を放つ教会堂が現れる。1921(大正10)年献堂の早稲田奉仕園スコットホールだ。
そのシルエットから受ける第一印象は、シェイクスピア戯曲の寂寞たる古城のような質実さを思わせるが、歩み寄るほどこの印象は不思議と温度を上げていく。アーチ窓間を埋めるギリシア風石柱や、イギリス積み煉瓦の細やかな転調が生む陰影などにより、遠目には素朴な壁面が近づくほど細やかな創意を感じさせてくる。その実スコットホールの独創性は、この印象の変化にこそ宿る。
教会堂に限らず現存する大正期の名建築といえば、壮麗さや優美さを競い合う感が強い。それらは維新以来、殖産興業の半世紀を経て至った戦間期の文化熟成を建築的に輪郭づけ、ネオ・ゴシックからモダニズム建築まで、手がける建築家個々の解釈と技量の見せ場であった。こうした華美な流れとスコットホールが一線を画すことはしかし、それ自体が強い表現意志の痕跡でもある。それはまず、本教会堂の造営が米国バプテスト教会宣教師ベニンホフの発起であることに由来する。プロテスタント教会建築の歴史は当初既存の聖堂借用から始まったが、やがてカトリック思想そのものを体現する聖堂建築との信仰的齟齬を見出していく。バプテスト教会は聖公会から離脱して英国に生まれ、19世紀米国で急成長を遂げた。欧州と異なりゴシックやロマネスク聖堂を身近なモデルに持たない環境は、自ずと信仰的理想の具現化を巡る実験場を準備した。
スコットホールにおいては従って、欧米での数世紀に及ぶ様式展開が凝縮的に花開いた大正モダンのもと、質実さがあえて主張されたと言える。またイギリス積みの本教会堂はヴォーリズ建築事務所の設計原案に基づくが、同時期・同事務所設計の現日本基督教団大阪教会がフランス積みであることと明確な対照を成している。
もう一つ特筆すべきは、関わる人々の系譜だ。例えばヴォーリズ事務所内で本教会堂の設計原案を担当したのは若手の佐藤久勝だった。大丸心斎橋店なども担った佐藤の44歳での早逝は惜しまれてならないが、その原案を継いで実施設計を担った当時20代半ばの今井兼次は、戦後に受洗しのち演劇博物館などのほか教会設計も多く手がけていく。階段踊り場の上げ下げ窓などには、光量を損なわず意匠性を担保するヴォーリズ建築の長所がなお息づくが、こうして見るなら後の今井建築の内に佐藤の息遣いを看取することも的外れではないだろう。
また施工監理を務めた内藤多仲は、独自の耐震構造理論を考案し戦後は通天閣や東京タワーを設計する。現場で施工を担当した竹田米吉は、幕末の大工気質を継ぐ生粋で「当代随一の煉瓦積みの名手」と謳われた。関東大地震は都心の煉瓦建築を壊滅させたが、スコットホールは塔屋の部分的被害に止まった。今井・内藤はのち早稲田大学の建築科教授として、高度経済成長を支える幾多の建築家を世に送り出す。かつて中世大聖堂からの離脱を志向したプロテスタント建築の歩みが、極東の島国で形態の移植に留まらない文化遺伝子を蒔くこの流れに思い定める時、「あなたがたは神の畑、神の建物なのです」(Iコリント3:9)との教えはまた、別様の温もりをはらんで胸中へ響き始める。
【Data】早稲田奉仕園スコットホール〈日本基督教団早稲田教会〉
竣工:1921(大正10)年
設計原案:ヴォーリズ建築事務所
実施設計:今井兼次
施工:竹田米吉
構造:煉瓦造2階建て(地下1階)、屋根床木造トラス
所在地:東京都新宿区西早稲田2‒3‒1
藤本 徹
ふじもと・とおる 埼玉生まれ。東京藝術大学美術学部卒、同大学院 美術研究科中退。公立美術館学芸課勤務などを経て、現在タイ王国バンコク在住。