生月島の「かくれキリシタン」追う 「世界文化遺産登録」実現の陰で 『消された信仰』著者インタビュー 2018年8月1日

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が6月末、悲願であった世界文化遺産への登録を実現させ、地元の関係者らが沸いている。しかし、お祝いムードの陰で「最後のかくれキリシタンが暮らす島」の存在が消されようとしていた。長崎県平戸市の西端に位置する「生月(いきつき)島」。今も息づく土着化したキリスト教の信仰と、代々それを守り続けた人々の歩みを追ったルポが『消された信仰』(小学館)として発刊された。著者の広野真嗣さんに話を聞いた。

「変容した信仰」の評価に疑問

 上の写真は、生月町の民家でかくれキリシタンの行事「御前様のご命日」にオラショを唱える男性。先祖から口々に伝えられてきたというラテン語混じりの朗誦は、40分以上にも及んだ。その眼前には、信仰の御神体「御前様」の一つである「洗礼者ヨハネ」の聖画が掲げられている。

 広野さんはこの掛け絵と、『かくれキリシタンの聖画』(1999年小学館刊、現在は絶版)で出合った。そこには、西洋絵画に描かれた「洗礼者ヨハネ」とは似ても似つかない姿があった。頭髪はちょんまげで、着流しの和装。十字架の乗る雲はさながら西遊記の「筋斗雲」のよう。生月ではバテレン追放令による26聖人の処刑から2年後の1599年に禁教が始まり、信徒は家の納戸の中にイエスやマリアの聖画を祀って密かに祈りを続けてきた。現在も島に残る信徒は300人に満たず、オラショの継承者も減り続ける一方だという。

 プロテスタントのクリスチャンである両親のもとに生まれ、かつては教会学校にも通っていたという広野さんにとって、そこに描かれたヨハネの造形は斬新だった。「思春期で抱いた違和感もあって教会から遠ざかってしまいましたが、自身の倫理観、生活規範はこの家庭環境だからこそ育まれたもの。今回の取材を通じて感じたのは、そうした土地や家庭に根付いた生々しい家族史のようなものを見詰める作業は、自分の信仰や生活にとってもプラスになるのではないかということです。安易に抽象的な『国家』にアイデンティティを見出すような最近の風潮よりも、はるかに健全だと思います」

 自身が当時、意味も分からず暗唱していた「主の祈り」は、生月の信徒が宣教師から伝えられた口伝の祈りであるオラショにも通じる響きがあった。『消された信仰』では、生月が世界遺産のリストから「消され」た背景を追う。愚直に伝承されてきた信仰形態に、現代の学知から「変容した信仰」「本来のキリスト教とは異なる」と断じる一部のカトリック研究者らにも、率直な疑問を投げかける。

 「権威的な高みから、オラショの本来の文言などに誤りがあると論評されても、それを継承してきた人々には反論することはできません。生活を支えてきた信仰である以上、間違いかどうかではなく、それを伝え守り続けてきたことに意味を見出すことから始めるべきではないでしょうか」

手のひらサイズの使命感こそ

 広野さんは自ら取材した長崎の地を、「隔絶された中で受け継がれてきた信仰を体感できる象徴的な場所」だと言う。水産資源と観光以外に主要産業の少ない地方で、漁獲量も落ち、高齢化する中、今回の登録を歓迎する向きがある一方、教会を維持しつつ、「祈りの場」を守るための覚悟も問われている。カトリックの教団内にもさまざまな意見があり、議論はまだ「生煮え」のまま。より柔軟な考えの神父が赴任したことによって、リスト入りを受け入れた教会もある。地元のカトリック信者も心境は複雑だ。

 それでも、「まだ遅くはない」と広野さん。「歴史を解きほぐしながら、後世にいかに伝えるか、行政と教会側が正面から議論する契機になれば」と期待を寄せる。

 『消された信仰』には、生月出身の読者から、地元にいながら知らないことも多かったとの反響もあった。自身のルーツをたどり、かくれキリシタンの歴史とは何だったのか、現代日本におけるキリスト教、宗教の意味とは何なのかを思索し続ける。広野さんの旅は終わらない。

 「キリスト教は一神教であるがゆえの欠点として、教団としての過ちを表現しないというスタンスが少なからずあったと思います。教条主義的な部分だけが強調され、戦中はカトリックもプロテスタントも戦時体制に協力した事実があったのに、過去をはっきりと表現せず、等身大の宗教ではなくなっている部分がある。そんな振る舞い方が、信仰を持とうとしている人にとってハードルになる面もある。教団も指導者も図らずも過ちを犯してしまいますが、それらを虚心坦懐に表現し、記録に残していくことの方が、むしろ宗教としての魅力にもつながる。漠然とした不安にさいなまれる現代社会で、拠り所を失っている若い世代はむしろ信仰の支えを求めていると思います。人類の救済といった大文字の言葉ではなく、家族が代々受け継いできた生き方や『宗教的倫理』を嚙んで含めるように伝えていく、手のひらサイズの使命感こそ求められているように思います」

 ひろの・しんじ 1975年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒。神戸新聞記者を経て猪瀬直樹事務所に取材スタッフとして入所。石原、猪瀬都政では東京都専門委員を務め2015年からフリーに。


▲生月島の丘「黒瀬の辻」に立つ十字架。17世紀初頭の殉教者・西玄可が松浦藩から処刑された場所。かつては布教の中心地だったという。

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