【聖書翻訳の最前線】新改訳2017 6「いけにえ」という訳語について 2018年10月1日
今回の「新改訳2017」の改訂では、三版までの「ささげ物」の名称が以下のようになりました。
オーラー:「全焼のいけにえ」→「全焼のささげ物」
ミンハー:「穀物のささげ物」(変更なし)
ゼバハ・シュラーミーム:「和解のいけにえ」→「交わりのいけにえ」
ハッタート:「罪のためのいけにえ」→「罪のきよめのささげ物」
アーシャーム:「罪過のためのいけにえ」→「代償のささげ物」
紙面の都合により名称の冒頭部分の変更については割愛させていただき、「いけにえ」という部分について説明をいたします。新改訳の三版では、四種類のささげ物の名称に「・・・・・・の(ための)いけにえ」という表現が使われましたが、このことは、儀式の中で動物が屠られる場合には「いけにえ」を使い、そうでない場合には、「穀物のささげ物」におけるように、「ささげ物」を充てたということに他なりません。すなわち、日本語の「いけにえ」を「動物」の場合に限って用いていました。
しかし、それは日本語では問題はありませんが、日本語に偏った措置であり、ささげ物の理解において誤解を与えてきた面がありました。
三版までの大きな問題点として次のことがあります。それは、上記のように四種類のささげ物の名称に「いけにえ」が使われ、かつ単独の「いけにえ」もあまりにも頻繁に(約800回)登場するために、「いけにえ」という上位概念の下に「全焼のいけにえ」や「罪のためのいけにえ」があるかのような印象を与えてきたことです。しかし、単独の「いけにえ」(ゼバハ) も「和解のいけにえ」(ゼバハ・シュラーミーム)のことを指していると考えられますし、ゼバハが、たとえばオーラー(全焼のいけにえ)を含むといったことはなかったと考えられます。
むしろ、「ささげ物」(コルバン) の下位概念として、レビ記一章の「全焼のいけにえ」や三章の「和解のいけにえ」がある(1:2、2:1、3:1、4:23,28,32参照)と考えるべきでしょう。
特に、オーラー(「全焼のいけにえ」)とゼバハ(「いけにえ」)が対のかたちで登場する場合に、三版では、後者が「ほかのいけにえ」と訳されている箇所が21箇所ありました(レビ17:8、民15:3,5、申12:6等)。しかし、このように「全焼のいけにえ」と「いけにえ」が隣接すると、「全焼のいけにえ」が「いけにえ」の下位概念であるかのような印象を与えることになります。また何よりも、「ほかの」が原文にないので、全体として適当な訳とは言い難いのです。
これらの誤解を避けるために、今回の「2017」では、三版の「全焼のいけにえ」「罪のためのいけにえ」「罪過のためのいけにえ」における「いけにえ」を廃して「ささげ物」とし、「いけにえ」を「交わりのいけにえ」だけに限定するようにしました。その結果、三版の旧約で799回登場していた「いけにえ」は476回減り、323回となりました。
新約においては、旧約のゼバハにほぼ対応する語としてスシアがあります。しかし、この語については、「交わりのいけにえ」だけではなく、「罪のきよめのささげ物」や「全焼のささげ物」をも含んで「いけにえ」と言われている箇所が登場します(ヘブル 7:27、9:23,26、10:1,12など)。その場合のスシアの意味は、三版が旧約において広い意味で使っていた「いけにえ」です。
結果として、新改訳2017の旧約では「いけにえ」が「交わりのいけにえ」だけに限定されていますが、新約ではその限りではないということになります。
(新聖書刊行会)