死刑と向き合う宗教者の姿 映画『教誨師』対談 佐向大監督× 川上直哉牧師 2018年11月1日
受刑者と向き合い、「心の救済」のために奮闘する教誨師の葛藤を描いた映画『教誨師』が10月に公開され、「教会での求道者会を見ているよう」など、牧師の間でも話題になっている。今年2月に急逝した大杉漣さんが主演とエグゼクティブプロデューサーを務めたことでも注目を集めた本作。主人公の牧師・佐伯保が年齢、境遇、性格の異なる6人の死刑囚と対峙し、狭い空間の中で繰り広げる対話によってのみ物語は進行する。現役の教誨師として活動する牧師の目に、この映画はどう映ったのか。宮城県教誨師の川上直哉氏が鑑賞後の感想を胸に、佐向大監督と対談した。
〝あなたの人生は良かった〟と祝福する役目
「悪い人」ではなく「ダメな人」を肯定する
極限状況の中で生きる人を撮りたい
川上 まずは、牧師のダメなところが非常によく描かれていて驚きました。このまま成長できないで終わってしまうのかなと。
佐向 ダメでしたか(笑)。
川上 大杉漣さん演じる主人公の教誨師・佐伯が成長していく話ですよね。
佐向 まだ新米の教誨師という設定にして、これからいろいろ学んでいくという流れにしました。教誨師をされている方に話をうかがって脚本を書いたのですが、日本で牧師や神父が主演という映画を観たことがなかったので、撮りたいと思っていた作品でした。大杉さんのマネージャーのお父様が仏教の教誨師だったと聞いて、そこからも発想を得ています。大杉さんが演じるなら、袈裟を着たお坊さんより聖書を手にした牧師の方が合っていると思い、キリスト教の教誨師という設定にしました。
川上 浄土系とキリスト教、天理教の教誨師は、「基本的にあなたは肯定されるべき」というメッセージを送るという点で似ています。
佐向 当初はわたしも、悔い改めさせることが教誨の目的だと思っていたのですが、まずは肯定したり受け入れることが必要だと聞いて納得しました。教誨師がボランティアということも取材で初めて知りました。
川上 お金をもらわないから楽なんです。自分は神様に派遣されて来たと言えますから。
佐向 知ってもらえる機会になってよかったという牧師の反応もありました。
川上 宗教者による教誨師の他に、法務省管轄の篤志面接委員という制度があります。教誨師の場合は研修会の交通費も自己負担ですので、経済的な負担は小さくありません。そこがキリスト教の教誨師の課題です。どんどんお金が出ていく。
佐向 ヤクザの組長(光石研)に同情されるシーンもなまじ嘘ではなかったんですね。
川上 そうそう。なんで知っているのかなと(笑)。それに仏教と違って、キリスト教の場合は牧師の異動があるのも難点です。赴任する教会が変わっても教誨師を続けられるとは限りません。
佐向 そうなんですか。今さら言うのも何ですがたいへんですね。
川上 監督が手掛けたこれまでの作品も矯正とか死刑とか、あまり大衆受けしそうなテーマではありませんよね。
佐向 そうですね(笑)。テーマとしてはしんどいですね。死刑に対してものすごい興味があるとか、これは絶対にいけないと声高に言うつもりはそれほどなくて、それよりも生と死の極限状況の環境で生きている人と、教誨師という一般にはほとんど知られていない役割の人が何か話をしていくというのは自分の中ですごく興味があったんです。
川上 おっしゃる通りで、死刑についてすごくすっきり描かれていて、とても良かったです。最後のエンドロールが短いのもいいなと。
佐向 場面展開もないし、ずっと1対1の会話だけでどうしたらいいんだろうというのは、脚本を書き始めてから想像以上に苦労しました。
教誨師の役割と刑務官の葛藤
佐向 死刑囚と対峙する際は、どこか自分の心を切り離しておかないともたないという話も聞いたんですが、その辺りはどうお考えですか?
川上 わたしは牧師なので看取りの現場にも立ち会うのですが、例えば寝たきりで意識ももう回復しなくなった終末期の高齢者がいたとします。その方の延命措置を、医者と相談の上で家族が打ち切り、看取ったとしましょう。そういうご家族との関わりも考えると、そこまで死刑が特別なこととは思いません。何が違うんだろうと。延命しないという家族の決断は、良いとも言えるし悪いとも言えるでしょう。でも、責任を負える人が決断したんです。それは、やはり肯定されるべきだと思います。同じように、法務大臣が責任をもって決めたなら、わたしが教誨師としてできることはその枠の中で最大限やれることをやるだけだと。
佐向 やれることというのは?
川上 祝福することですね。本人も執行に関わる人も。特に本人には、「あなたの人生はこれで良かったんだ」と伝えるんです。「あなたがしたことの責任は神様が何とかしてくれる。あなたの人生には意味があったし、死んでも一人ぼっちにはならない」と。これは宗教抜きには言えない言葉です。それを伝えるのが宗教者の責任だろうと思っています。
佐向 想像するだけでも辛いと思いますが、例えば何の宗教も信じていない刑務官の場合、何を心の拠り所にすればよいのでしょうか。国の命令だから仕方ないと割り切るしかないですよね。
川上 少なくとも現場の職員の方々は、死刑囚の人権を守るために懸命です。その姿勢は本当に立派だと思います。
そう簡単に改心などしない
佐向 教誨をしていると徐々に改心するように思われがちですが、実際はほとんどの人が自分は悪くないと言い続けるという話も聞くんですが……。
川上 自分のしたことについて良いも悪いもなくて、悪いということにしておかないといけないということなんです。模範囚になれば、恩赦で外に出られるチャンスがあるわけです。だから、中には自分が悪いという顔だけはしますよ、というアピールで一生懸命、教誨に通う人もいるようです。
佐向 本来の教誨師の役割の中には改心ということも含まれていますよね?
川上 そうですね。「道徳心の育成、心の救済に努め、彼らが改心できるよう」と映画の中では謳っていますが、どうなんでしょう。もちろん「道徳心の育成」や「心の救済」というのはその通りなんですが、究極的にはそのことと改心は関係がないんですよ。法的な問題としてはあるのかもしれませんが、その人が生きていく上では関係ない。もちろん、道徳心が育成され、心が救済された方が良いだろうとは思いますけどね。
佐向 道徳心が育成されるということは、改心につながるような気もするんですが、それはまた別問題だと。
川上 何をもって改心と言うんですかね。そもそも改心と言うと「悪い人」という前提があると思うんですが、そんな人はほとんどいないんですよ。「悪い人」ではなく「ダメな人」なら、いると思いますが……。
佐向 そういう意味では、近いですね。本作の登場人物たちも自分が悪人だという意識はない。結局「ダメな人」なんですよね。
川上 大阪弁でまくし立てる野口(烏丸せつこ)なんか典型的じゃないですか。こういう人いるなぁと思って。彼女に改心という言葉は合わないですよね。
(協力 日本基督教団東京山手教会/全文は11月発売の「Ministry」39号に収録)
有楽町スバル座、池袋シネマ・ロサ他にて全国順次公開中。
【新宿シネマカリテにて11月3日から1週間限定公開決定!! 初日トークイベントもあり】
11月3日(土)11:45の回、上映後
登壇者:青木柚(佐伯健一役)、杉田雷麟(佐伯保・少年時代)、佐向大監督
劇場HP↓
http://qualite.musashino-k.jp/movies/5692/
監督・脚本:佐向大
エグゼクティブプロデューサー:大杉漣 狩野洋平 押田興将
出演:大杉漣 玉置玲央 烏丸せつこ 五頭岳夫 小川登/古舘寛治・光石研
2018年/日本/カラー/114分
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
宣伝:VALERIA、マーメイドフィルム
公式サイト:kyoukaishi-movie.com
さこう・だい 1971年神奈川県出身。1995年に映画『夜と昼』(監督、脚本、出演)で神奈川県映像コンクール特別賞を受賞。映画『まだ楽園』(2006)が各方面から絶賛され劇場公開、注目を集める。死刑に立ち会う刑務官の姿を描いた『休暇』(08/原作:吉村昭/監督:門井肇/出演:小林薫、西島秀俊)では脚本を手がけ、ドバイ国際映画祭審査員特別賞を受賞。10年に『ランニング・オン・エンプティ』で商業監督デビュー。他の脚本作に『アブラクサスの祭』(10)、『BRIGHT AUDITION』(14)、NHK Eテレ「えいごであそぼ」(12~)など。
かわかみ・なおや 1973年北海道出身。神学博士(立教大学)。日本基督教団石巻栄光教会牧師。仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(NPO法人「東北ヘルプ」)事務局長、仙台白百合カトリック研究所研究員、東北大学「実践宗教学」寄附講座運営委員長、世界食料デー仙台大会実行委員長。著書に『日本におけるフォーサイス受容の研究―神学の現代的課題の探求』(キリスト新聞社)、『被ばく地フクシマに立って―現場から、世界から』『被災後の日常から―歳時記で綴るメッセージ』(ヨベル)など。宮城県教誨師としても活動中。
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