【聖書翻訳の最前線】新改訳2017 10 「ヨハネの福音書」 2018年11月11日

10 ヨハネの福音書

 

今回は、ヨハネの福音書で変更された箇所を取り上げます。まず、4:24です。

 

[3版]神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。

[2017]神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。

 

新改訳聖書では、プネウマが神の霊であれば「御霊」、人間の霊であれば「霊」と訳されてきました。単なる「霊」では、神の霊なのか人の霊なのか分からないので、訳語で区別してきたのです。

 

この箇所がこれまで「霊とまこと」と訳されていたのは、「霊」が人の霊、「まこと」が人の真実である、と理解してきたからです。私たちが心から神を礼拝できるように、「霊とまことによって礼拝できるように」という祈りが、この箇所に基づいてささげられてきました。

 

しかし、この福音書において、「霊」は基本的に聖霊のことです。人間の霊を意味している箇所もありますが、それは、文脈からすぐに分かります。ラザロの墓の前でイエスは「霊に憤りを覚え」たとか(11:33)、ユダの裏切りを予告したとき「心が騒いだ」とか(13:21)、イエスが「霊をお渡しになった」といった具合に(19:30)、人としてのイエスの霊の動きを表現しているケースです。それ以外の「霊」はみな、冠詞の有る無しにかかわりなく「聖霊」のことです。

 

「まこと」はギリシア語のアレーセイアですが、神が明らかにされた「真理」です。したがって、聖霊の助けにより、神が啓示された真理によって礼拝をささげることが勧められているのです。新しい訳によって、礼拝が人間の営みである以前に、神が可能としてくださる恵みであることが明らかになります。

 

もう一つの変更は、ヨハネ8:24、28、58、13:19にある、ギリシア語のエゴー・エイミの訳です。第三版と2017を並べて見ましょう。

  [3版] [2017]
ヨハネ8:24 ……もしあなたがたが、わたしのことを
信じなければ、あなたがたは自分の罪の
中で死ぬのです。
……わたしが『わたしはある』であるこ
とを信じなければ、あなたがたは、自分
の罪の中で死ぬことになるからです。
ヨハネ8:28 ……その時、あなたがたは、わたしが何
であるか…を、知るようになります。
……そのとき、わたしが『わたしはある』
であること……をあなたがたは知るよう
になります。
ヨハネ8:58 ……アブラハムが生まれる前から、わた
しはいるのです。
……アブラハムが生まれる前から、『わ
たしはある』なのです。
ヨハネ13:19 ……わたしがその人であることをあなた
がたが信じるためです。
……わたしが『わたしはある』であるこ
とを、あなたがたが信じるためです。

 

これらの箇所はいずれも、背後に出エジプト3:14があります。神の名を尋ねたモーセに、主は「『わたしはある』という者である」とお答えになりました。その主の名をもって、イエスはご自分の神性を示唆されたと思われます。

 

8:24で、直訳は「『わたしはある』ということを信じなければ」ですが、それでは、このことが表しきれません。そこで、8:58は別として他の三つの箇所では、「わたしが『わたしはある』であることを信じなければ/知ることになる」と、言葉を補って訳しました。「わたし」をくり返すためにぎこちなくなりますが、人間の理解を超えた神の有り様を示すには、かえってふさわしいかも知れません。また、これらの箇所に一貫した訳を見出すことで、イエスと、モーセに自らを表された主なる神との関係が分かり易くなったのではないでしょうか。

(新日本聖書刊行会)

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