【聖書翻訳の最前線】新改訳2017 12 「公同書簡(ヘブル人への手紙/ペテロの手紙)」 2018年12月1日

公同書簡(ヘブル人への手紙/ペテロの手紙)

 ヘブル11:11の伝統的な読み方はサラを主語とするもので、新改訳もそれに従っていました。普通に読めば、主格のサラを主語とするのが自然です。ところが、「子を宿す力を与えられました」と訳されていたギリシア語、デュナミン エイス カタボレーン スペルマトス エラベンは、男性が子をもうけることを意味する表現で、女性の妊娠には使用されないことが明らかになったのです(「新約聖書釈義辞典」)。この困難に気がついたのでしょう。4世紀末のクリュソストムスはカタボレーンを、女性に適用できるヒュポドケーンに読み替えていました。こうして、この節も主語はアブラハムであるという理解に立って訳し直すことになりました。

 ただし、その場合、主格で記されている「サラ自身も不妊の女であった」(アウテー サラ ステイラ)という言葉が宙に浮いてしまいます。本文に入り込んだ初期の書き込みとする説明もありますが、証拠はありません。主格ではなく本来与格であったとする説明もあります(与格であることを示す「下書きのイオタ」は、大文字書体の写本では落ちてしまうので、主格と取り違えられた)。

 しかしながら、「下書きのイオタ」がなくても与格に読むという理解が一般的であったなら、クリュソストムスが上記のような読み替えをする必要は無かったはずです。むしろ、この箇所にヘブル語の影響を認め、付帯状況を表す主格として理解できるという説明がベストでしょう。

[3版]信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。

[2017]アブラハムは、すでにその年を過ぎた身であり、サラ自身も不妊の女であったのに、信仰によって、子どもをもうける力を得ました。彼が、約束してくださった方を真実な方と考えたからです。

 次に、第3版では「その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られた」と訳されていたI ペテロ3:19を考えましょう。問題は、「捕らわれの霊たち」がだれを指しているかです。死者の霊ととり、キリストは死者の世界=陰府で福音を伝えたとする解釈があります。また、続く20節に、「ノアの時代に……従わなかった霊たち」とあることから、受肉前のキリストが、ノアの時代にも語りかけていたとする見方もあります。

 しかしながら、新約聖書において「霊=プネウマ」の複数形は、普通「悪霊たち」のことです。「(神の)七つの御霊」という表現(黙示録)や、「御使い」を意味する「霊」、旧約時代の聖徒たちに言及すると思われる「完全な者とされた義人たちの霊」もありますが、死者の霊を表す明白な箇所はありません。また、「捕らわれている」は直訳すれば「牢獄にいる」で、黙示18:2では「汚れた霊たちの巣窟」、10:7ではサタンが閉じ込められていた「牢」を意味しています。そこで、「捕らわれの霊たち」は「堕落して閉じ込められていた御使いたち/霊たち」のことと理解すべきでしょう。

 また、これまで「みことばを語られたのです」と訳されてきた動詞ケーリュッソーの意味は「宣言する」ですが、宣言の内容を示す目的語がありません。福音を語ったことを明らかにしようとしたのであれば、ペテロは1:12、25で用いているエウアンゲリゾーを使用したでしょう。続く文脈、この章の結びの22節で、イエス・キリストが神の右の座に就き、御使いたちやもろもろの権威、権力を従わせたことが語られていることからすると、宣言の内容は勝利やさばきであったと考えるのがよいと思われます。

[2017]その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。

 この箇所はまた、善を行っていながら苦しみにあっているキリスト者たちを励ます文脈にあります。同じ様な苦しみを通りながら救いにあずかったノアとその家族たちに言及するのもそのためです。そうであればなおのこと、キリストも苦難にあいながら、高く挙げられ、反対する霊たちに勝利やさばきを宣言された、と理解するのがよいのではないでしょうか。

新日本聖書刊行会

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