【宗教リテラシー向上委員会】 「平成」とは、キリスト教にとって何だったのか 波勢邦生 2018年12月25日
今から70年前の「キリスト新聞」(1948年12月25日付)クリスマス号に「天皇はカトリツク信者に成られるか!」という記事が掲載された。同年12月7日、ヴァチカン当局の報道「天皇がカトリック教に帰依する可能性」に対して、9日、高松宮が「両陛下の受洗は考えられぬ」と否定したことを伝える内容だ。
天皇誕生日、クリスマス、正月。ミルフィーユのように折り重なる日本の暦だが、来年のクリスマス、天皇誕生日は隣接しない。この12月25日が「平成」最後のクリスマスだ。先日、イスラエルから一時帰国中の山森みか氏(旧約聖書学・テルアビブ大学)と会った。西暦の新年をあれほど祝うという意味で、ユダヤ教・イスラム教から見れば、日本がキリスト教側にあると見えてもおかしくない、という話題が出た。
天皇誕生日とクリスマスが隣接していた「平成」という時代、二つの王権が隣り合ったこの一万千余日は、日本のキリスト教にとっていかなる意味を持ち、何を象徴していたのだろうか。
平成の幕開け、1989年の出来事を列挙しよう。美空ひばりの遺作「川の流れのように」発売、リクルート事件、オウム真理教による殺人、消費税法の施行、ゲームボーイ発売、宮崎勤事件、「オレたちひょうきん族」の放送終了、ダウンタウン「ガキ使」開始、新語大賞「セクシャル・ハラスメント」、三菱地所によるロックフェラー・センターの買収、日経平均株価の史上最高値の更新……である。
その後、失われた20年と呼ばれるように、バブル崩壊、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗事件が続き、経済的・社会的不安が増大した世紀末は記憶に新しい。「9.11」によって、テロと暴動、世界的な右傾化と原理主義的過激派の台頭と共に21世紀が幕を開けた。そんな世界の、東アジアの、日本のキリスト教にとって「平成」とは何だったのか。
実は、過去にも同じことが問われていた。久山康(1915~1994)は、関西学院大学の理事長・院長を務めた宗教学者である。1956年、久山の発案で『近代日本とキリスト教』という座談会が開催された。参加者は、高坂正顕、山谷省吾、亀井勝一郎、小塩力、椎名麟三、隅谷三喜男、猪木正道、北森嘉蔵、武田清子、西谷啓治、武藤一雄、遠藤周作。この錚々たる面々が、明治・大正・昭和・戦後のキリスト教・戦後日本精神史を縦横無尽に語り尽くした。半世紀以上を経た今、僕らもまた「平成」という時代をキリスト教の視点から、宗教の観点から総括した方が良いのではないか。オウム事件の結審、死刑執行は、何を象徴しているのか。日本仏教にとって、日本ムスリムにとって、日本と宗教の関係において「平成」とは何だったのだろう。
明治維新から150年、戦後73年、2018年も「平成」も終わろうとしている。世界情勢も予断を許さない。フランス大統領が「ガソリン代を払えないなら電気自動車に乗ればいい」と言った/言わないなどで、パリではデモが暴徒化し、「ラ・マルセイエーズ」を歌いながら行進した。「マクロンwwwギロチンwww」とネットは韻を踏み、「滅入り苦しみます」と煽っては囃す。宗教と政治、その右翼と左翼、グローバリズムとテロリズム、賛美歌の代わりに聞こえる轟音、阿鼻叫喚、人々の生活とその行方には暗雲が立ち込める。
「天に栄光、地に平和」、内平外成、地平天成。「平成」という願い、公共善において二つの王権が重なる。公共善は異形の存在を保障する。降誕節はそれらを贖い祝う。クリスマスと正月でさえ、孤独死する人がいる。
メリークリスマス! そう語るなら、キリストに従って「平成」のために、怪物にも見える「隣人哀(あい)」に手を差し伸べることから始めよう。
波勢邦生(「キリスト新聞」関西分室研究員)
はせ・くにお 1979年、岡山県生まれ。京都大学大学院文学研究科 キリスト教学専修在籍。研究テーマ「賀川豊彦の終末論」。趣味:ネ ット、宗教観察、読書。