【映画評】 『彼が愛したケーキ職人』 禁忌のあじわい 2018年12月25日

〝子山羊をその母の乳で煮てはならない〟(出エジプト記23:19)

 ある男の死をきっかけに、ベルリンで彼が愛したパティシエと、エルサレムに暮らす彼の妻とが出会う。映画『彼が愛したケーキ職人』はユダヤ教の食物規定「コシェル」が鍵となり、流麗な音楽が情感の浸透圧を高める秀作で、性的マイノリティのドイツ人がイスラエルで身を忍ばせることの史的な暗喩性が、リアルな隠し味として効く。

 エルサレムの路地に建つ1軒のカフェが主な舞台。ベルリンでケーキ作りに精を出す若いパティシエのトーマスが、情愛を結ぶ常連客のイスラエル人ビジネスマンの事故死をきっかけにエルサレムを訪れる。トーマスは素性を言い出せないまま、ビジネスマンの妻アナトが営むカフェで働き出す。異邦者への警戒心を隠さなかった周囲の人物たちも徐々にトーマスを受け入れ始めるが、コシェルの認定を受けた店の厨房で彼が働くことが、思わぬ波紋を広げていく。

 映画ではユダヤ圏に特有の文化風習を、説明的描写に堕すことなくドラマの内へ描き込む。主人公トーマスが「性的マイノリティ」の「ドイツ人」であることも重要だ。まずバイ・セクシャル(同性愛を含み込む両性愛)である点が、イスラエルの中でもひときわ宗教伝統の色濃いエルサレムにおいて禁忌の対象とみなされるのは言うまでもないだろう。大規模なゲイ・パレードの開催など、イスラエルはLGBTに寛容な国というイメージもある一方、それはパレスチナ政策などによる失地回復を図る政府主導の〝ピンクウォッシング〟だとの批判も強い。トーマスがゲイであると露見した後の周囲の反応には、同性愛者の存在すら近親には認めがたい住民感情の実態が赤裸々に描かれている。

 それにもまして、「ドイツ人」であることがエルサレムでもつ固有のニュアンスをめぐる描写は考えさせられる。厨房で働くトーマスへ向け、周囲の親戚やラビ(ユダヤ聖職者)らが「君が噂のドイツ人か」と名指すうちはまだ異邦人扱いの域を出ない。しかし、スーツケース一つで入居したトーマスが「1時間で準備して家を出ろ」と追い立てられる場面などは、現代ユダヤ人最大のトラウマであるホロコーストの背景なしに成立し得ない。

〝あなたたちの食べてよい生き物は、ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするものである〟(レビ記11:2~3)

 また本作タイトル中の「彼」とは冒頭で亡くなるイスラエル人ビジネスマンを指すが、彼の老母が自宅にトーマスを迎える場面も印象深い。彼女はすべてを察しつつトーマスを極めて温厚に迎えるのだが、年齢的には同性愛が今日以上にタブーであった時代を生き、かつアウシュヴィッツ生存者の声を生で聴いた世代である。しかも息子がドイツ語を流暢に話すことからも、ドイツからのユダヤ移民の可能性すら推測される。イスラエルに生まれドイツに暮らすオフィル・ラウル・グレイツァ監督の撮る本作は、こうして伝統宗教が発揮しがちな排斥性と、ユダヤ文化に特徴的な異邦人への寛容とのどちらをも質実に描き出す。

 「説明的描写に堕すことなく」と先に評したが、にもかかわらず本作は、ローカルの素材から普遍的主題を浮かび上がらせている。それはユダヤ文脈を共有しない観客にも訴求力をもつ演出の巧さゆえだ。この意味では、主題の地域性に着目し、不寛容の社会的空気を背景とすることで寛容の価値を伐り立たせる手つきが『万引き家族』の是枝裕和監督や、『ロゼッタ』のベルギー人監督ダルデンヌ兄弟らを想起させる。映画館の暗がりで、こうした良質作を通じ異文化の育む滋養を存分に味わえること。それは単なる消費にあらず、それこそが人間活動の豊穣そのものであることを思う。(ライター藤本徹)

 12月1日よりYEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開中。

監督・脚本:オフィル・ラウル・グレイツァ
出演:ティム・カルクオフ、サラ・アドラー、ロイ・ミラー、ゾハル・シュトラウスほか
公式サイト:https://cakemaker.espace-sarou.com/

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