核実験が生む差別 「世界の核被害」写真展と講演会 2019年1月11日
東京YWCA(川戸れい子代表理事)平和と正義委員会は2018年11月13日~12月15日、写真展「第五福竜丸と世界の核被害」を同会館(東京都千代田区)で開催した。核否定の立場を行動に移すことを目指し、まず知ることが力になると考え企画されたもの。フォトジャーナリストで、1978年からは世界の核実験場や事故を起こした原子力発電所など核をテーマに撮影をしている豊﨑博光氏の作品のほか、核兵器禁止条約に関する解説や第五福竜丸とビキニ事件のパネルなどが展示された。最終日の12月15日には豊﨑氏を招き、「世界の核被害」と題した講演会が開かれ、約20人が参加した。
豊﨑氏は1945~2017年に行われた世界の核実験について解説。米国が1954年にビキニ環礁で行った水素爆弾による大気圏内核実験「ブラボー実験」では、マーシャル諸島で操業していた日本の漁船第五福竜丸の乗組員が急性放射線症候群にかかったほか、ロンゲラップ島の胎児を含む86人が放射能の灰を浴びた。この水爆は広島に落とされた原爆の1千倍の威力をもつ。米国は核が人体に及ぼす被害を知るために、島民に番号をつけ顔写真を撮り、治療を受けさせず経過観察をした。
1950年代からは地下核実験が増えるが、地下で行っても放射能は漏れている。米、露、英、仏をはじめとする世界の核実験の回数は2017年までに2千回を超える。核実験をした土地は放射能汚染により居住不可となる。ビキニ諸島やロンゲラップ島の住民は、遠く離れた島に移され、伝統や文化を失った。また内陸部でも、核実験は都市部から遠い場所を選ぶため、必然的に先住民族の住む土地などで行われることが多い。住み慣れた土地を追われた先住民族は、移住先の土地での被爆という二重の差別を受けることになる。
2017年に国連で採択された「核兵器禁止条約」は、世界の被爆者たちが作り上げた条約だが、国ではなく被爆者が作り上げたということで反発し批准しない国家も多い。40年にわたり世界の核被害者を見つめてきた豊﨑氏は、「被爆した人たちが何を見たのか、そこに思いを馳せ寄り添っていきたい。彼らの声を聞き、別の人に伝えていくのがジャーナリストの責務だと思う」と締め括った。